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西浦敏弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西浦 敏弘
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 (1960-07-08) 1960年7月8日
没年月日 (2019-07-25) 2019年7月25日(59歳没)
身長
体重
177 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1983年 ドラフト5位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西浦 敏弘(にしうら としひろ、1960年7月8日[1] - 2019年7月25日[2])は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手外野手[1]

来歴・人物

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興國高から近畿大学に進学し、同校の硬式野球部でプレー[1]。関西六大学・関西学生リーグ通算98試合出場、360打数111安打、打率.308。リーグ新記録の通算19本塁打を記録[1]。本塁打の記録は、2022年秋季リーグ終了現在も破られていない[3][注 1]。ベストナインは6度受賞。

1983年プロ野球ドラフト会議南海ホークスから5位指名を受け入団。当初は腰痛を理由にプロ入り拒否していたが、医師から腰が良くなったと診断され最終的にプロ入りを決断する。

一軍出場のないまま、1988年限りで現役を引退。

引退後は、株式会社エスティーウエストの代表取締役として、岸和田市内で薬局などの経営に携わる。剣道初段[1]

2019年7月25日、死去。

同年12月18日、西浦の妻から近畿大学硬式野球部にバッティングマシンが遺贈された[4]

詳細情報

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年度別打撃成績

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  • 一軍公式戦出場なし

背番号

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  • 37 (1984年 - 1988年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 1982年以降の新リーグでは、佐藤輝明の14本塁打が通算最多記録となっている。関西学生リーグでは西浦と佐藤の両方の記録を通算最多本塁打として扱っている。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P128。
  2. ^ OB NEWS Vol.83” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2019年9月). 2020年6月21日閲覧。
  3. ^ 関西学生野球連盟”. kansaibig6.jp. 2023年2月2日閲覧。
  4. ^ バッティングマシンの遺贈式、贈呈式”. 近畿大学硬式野球部公式ホームページ (2019年12月22日). 2023年2月2日閲覧。

関連項目

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