西野順治郎
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西野 順治郎(にしの じゅんじろう、1917年(大正6年)8月9日 - 2001年(平成13年)3月5日)は、日本の外交官、実業家、教育者。初代在泰日協会学校理事長、元タイ・トーメン社長・会長。
経歴
[編集]1937年(昭和12年)、横浜専門学校(現・神奈川大学)に進学。刑法担当の林頼三郎をはじめ、国際法の横田喜三郎、経済学の中山伊知郎、 会計学の太田哲三、商工経営の美濃部亮吉、産業能率の上野陽一、商業数学の久武雅夫、英語のジョン・オーエン・ガントレット、 学監米田吉盛、倫理学の朝比奈宗源、英語の江本茂夫らの指導を受ける。
在学中に外務省留学生試験に合格し、タマサート大学法学部に国費で留学した。
1940年(昭和15年)、在タイ日本国大使館、在チェンマイ日本領事館に副領事として赴任し、1945年まで勤務した。1946年に帰国。外務省および通商産業省に勤める。
1951年(昭和26年)、外務省を退官して東洋綿花株式会社(後トーメン、現・豊田通商)に入社した。
タイで1969年に発表されて大ヒットした小説『Khu Kam(運命の人)』を、『メナムの残照』の題で翻訳した。
1986年(昭和61年)7月1日に泰日協会学校初代理事長に就任する。
タイ・トーメン社社長、会長、相談役を経て1991年(平成3年)、に退職する。同年ティレキー・アンド・ギビン法律事務所上級顧問就任。
公職
[編集]タイ国日本人会長、バンコク日本人商工会議所理事、バンコク日本人学校理事長、泰日協会副会長、ロータリークラブ会長、タマサート大学東アジア研究所理事、大阪日泰貿易協会常務理事等。
叙勲等
[編集]主な著作書籍
[編集]- 『自由シャムの横顔』船形書院、1948年
- 『メナムの残照』角川書店《角川文庫》、1978年
- 『日タイ四百年史』時事通信社、1984年
- 『タイの大地と共に-星霜移り変わる半世紀』日経事業出版社、1996年
外部リンク
[編集]- タイ日協会学校 バンコク日本人学校
- 在タイ日本人学校の歴史 - ウェイバックマシン(2001年4月18日アーカイブ分)
- タイ自由ランド伝記