西鵜之本村
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にしうのもとむら 西鵜之本村 | |
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廃止日 | 1906年5月10日 |
廃止理由 |
新設合併 馬飼村、神明津村、四貫村、西鵜之本村、拾町野村 → 長岡村 |
現在の自治体 | 稲沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 中島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
510人 (『角川日本地名大辞典 23 愛知県』991頁、1891年) |
隣接自治体 | 牧川村、拾町野村、馬飼村、神明津村、海西郡開治村 |
西鵜之本村役場 | |
所在地 | 愛知県中島郡馬飼村(組合村役場) |
ウィキプロジェクト |
西鵜之本村(にしうのもとむら[1])は、愛知県中島郡にあった村。現在の稲沢市の一部にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 江戸時代は尾張藩領、鵜多須代官所支配で、明治元年(1868年)から美濃今尾藩領[2]。鵜之本村(東鵜之本村)から分村した[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、中島郡西鵜之本村が単独で村制施行し、西鵜之本村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]。馬飼村、神明津村、四貫村、拾町野村と組合村を結成[2]。組合村役場を馬飼村に設置[3]。
- 1891年(明治24年)濃尾地震で被害を受けた[2]。
- 1906年(明治39年)5月10日、中島郡馬飼村、神明津村、四貫村、拾町野村と合併し、長岡村を新設して廃止された[1][2]。合併後、長岡村西鵜之本となる[2]。
地名の由来
[編集]産業
[編集]- 農業、養蚕、切干大根[2]
教育
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 23 愛知県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。