角間貴生
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角間 貴生(かくま たかお、1947年(昭和22年)4月20日 - )は、日本の版画家。芸術家。小説家。
アート工房ゆめらいふを主宰。
来歴
[編集]芸術家を志すまで
[編集]生い立ち
[編集]1947年(昭和22年)4月20日に富山県高岡市高湶町(現大手町)で五人兄弟の次男として出生する。
出生時から幼少期にかけての写真は一切ないが、理由は不明。最も古い写真は、児童期の頃のものである。
学生時代
[編集]高岡市立平米小学校、高岡市立高陵中学校、富山県立高岡高等学校を経て、九州大学(旧九州芸術工科大学)を卒業。九州大学版画研究室修了。
小学生の6年間は、昆虫採集に夢中になっていた。将来、昆虫学者になることを志していたほどであった。高校時代は、富山の進学校(富山県立高岡高等学校)に進学したものの、神経症と胃病に悩まされ、学業不振[1]。当時の親友に『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者である井村和清がいた。
バックパッカー時代
[編集]自らが立ち上げた塾を切り盛りする傍ら、バックパッカーとして、世界中を放浪していた[2]。その頃の体験を後に綴ったのが、著作『旅夜絵夜十一夜物語』である[3]。
芸術家として
[編集]きっかけは、高校時代、神経症と胃病に悩まされていた角間は、ベッドで正岡子規の『病牀六尺』を熟読。それが、彼が後に芸術家を志す遠因となった[4]。様々な国(韓国・中国・ブルガリア・タイ・米国・ポーランド・豪州)との国際交流展に参加[5]。1983年から日本国内各地で個展開催(福岡、富山、東京、京都など)。韓国各地で個展(98,99,02,05Gallery Mesa,Gallery Hill,Gallery Jamowon, Picasso gallery)。
- 1989 個展「わが心象の分身たち」(2・21~29ギャラリーとわーる)[6]。
- 1992年から九州現代版画展を主催(92~03)(福岡県立美術館、福岡市美術館)。
- 1993年から日韓現代アート交流を始める[7]。
- 1996年、日本アジア現代版画展を実施(7・2~7・28福岡県立美術館)[8]。
- 1998年、福岡市広報誌「鴻都」表紙制作(98~03)[9]。
- 2001年、故郷富山で個展(MILESTONE ART WORKS)[10]
- 2006、08、13年、京都で個展(平安画廊、ギャラリーヒルゲート)
- 2008年、韓国プサンでアート制作パフォーマンス(8月7日プサン市庁シティホール)[11]
- 2009年、角間貴生版画展(ピカソギャラリー、韓国プサン)
- 2009、12年、クラコウ国際ビエンナーレ入賞(ポーランド)
- 2003年、トゥラ・モイラネン著「日本版画」の表紙制作(フィンランド)[12]
- 2004年、プサン大学芸術論集を執筆[13]
- 2004年、大野城版画ビエンナーレ(2004)にてグランプリ(池田満寿夫大賞)受賞[14][15]
- 陝西省美術博物館(中国)石波美術館(韓国)LAカウンティ美術館、久我記念美術館、由布院空想の森美術館、大野城まどかぴあ、九州中央病院などに作品所蔵
著作
[編集]- 『旅夜絵夜十一夜物語』[3]
- 『イーハトーブの空色切符』
- 『何通りも作れる線画ぬりえ:アイデア開発のための脳トレーニング 』
- 『私はヒトラーの女だった?:101歳まで生きたナチ映画の美人監督 』
- 『エッセー&絵「アート天文博物館」: 貝殻と化石と星空とアートのはなし 』
- 『なぜ伯爵は放蕩画家になったか?: 画家ロートレックの愛と道化 』
- 『画家たち…16の愛物語』
- 『ピカソは悪魔だった(動画付き):恋人ドラからのラブレター 』
- 『消去されたシャガールの妻(動画付き):「愛の画家」をめぐる「妻」と妻』
- 『失恋ゴッホのふたり言(動画付き):ゴッホ兄弟の愛とは何だったのか? 』
- 『「モディリアニの妻」と言う名の画家(動画付き):天国にかける二つの橋』
- 『「叫び」の画家が撃たれた夜(動画付き):ストーカー女の一発の銃撃 』
- 『北斎アート入門小説「北斎お栄だじゃれ道中」前編(動画付き):北斎お栄とやくざ孫が繰り広げるダジャレ川柳の中山道珍道中 北斎お栄シリーズ』
- 『北斎アート入門小説「北斎お栄だじゃれ道中」後編(動画付き):北斎お栄とやくざ孫が繰り広げるダジャレ川柳の中山道珍道中 北斎お栄シリーズ』
- 『美男カフカは女に変身した(動画付き):夢の物語を書く天才と恋人たちとの夢の日々』
- 『画家ルソーの「面白すぎる」嘘人生(動画付き):54歳の悪女に全財産を貢ごうとした』
脚注
[編集]- ^ 高島誠 (2014年3月). 「富山県人」平成26年3月号p31. 富山県人社
- ^ 高島誠 (2015年1月). 「富山県人」平成27年新年号. 富山県人社
- ^ a b 角間貴生 (2010年12月1日). 旅夜絵夜十一夜物語. 花書院. ISBN 978-4-903554-87-7
- ^ 高島誠 (2008). 富山県人2008年6月号「45年目の同期写真を見ながら」. 富山県人社
- ^ “KYOTO版画”. 版画京都展実行委員会. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “凹型の感性の記録”. (1989年2月22日)[出典無効]
- ^ 堀田広治 (2004-10-01). 日本とコリア第48号「文化を国際交流の架け橋に」. 日本コリア協会
- ^ 福岡県立美術館 (1996-07). 『とっぷらいと』NUBER43「日本アジア版画交流展」. 福岡県立美術館
- ^ Fukuoka City鴻都 ISSN 0915-6569(福岡市市長室広報課)Vol.37~Vol.56
- ^ 高岡市 (2008-06). 高岡文化情報誌「きらめき」平成13年下期号. 高岡市
- ^ “デモで深まった日韓の絆”. (2008年8月7日)[出典無効]
- ^ TUULA MOILANEN. JAPANILAINEN PUUPIIRROS. Aalto University
- ^ Kakuma Takao, Da-Wo Guan etc (2004年6月). The Collection of Paper for opening ceremony of the Plastic Art Research Center. 釜山大學校造形藝術研究所
- ^ “角間さんがグランプリに”. (2004年9月30日)[出典無効]
- ^ “「池田満寿夫大賞」受賞の版画家”. 東都よみうりNo.1158. (2005年5月13日)