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許斐仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

許斐 仁(このみ じん、1903年[1] - 1998年3月15日[2])は、米国のジャーナリストエッセイスト。本名は許斐氏信(うじのぶ)[2]

経歴・人物

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熊本県出身[2]。1921年福岡県立中学修猷館[3]を卒業と同時に、父の呼び寄せで渡米し、南カリフォルニア大学に進学して、1932年優秀な成績で卒業し[4][2]、博士号(比較文化)を取得[1]

一時アメリカ共産党に所属。ロサンゼルスの日本語新聞「羅府新報」の記者となる。太平洋戦争が勃発すると、OSS(戦略情報局、CIA(中央情報局)の前身)に入り、ここで「グリーンズ」と呼ばれる、日本の士気を下げるための、本格的な謀略宣伝プロジェクトが展開されるとこれに加わり、坂井米夫八島太郎らとともに特殊工作活動を行った。OSSの秘密文書では、許斐について「スター・ライター。政治的演説から感情的なものまで幅広い。生産能力が高く、才能に恵まれている」と記している[1]

戦後は、日系アメリカ人市民同盟(全米日系市民協会)(JACL)の機関紙「パシフィック・シティズン」紙に、長期にわたって英文のエッセイを掲載したり、北米毎日新聞にコラムを連載するなどした[2]

脚注

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  1. ^ a b c 春名幹男『秘密のファイル:CIAの対日工作(上)』(共同通信社、2000年)156-158頁
  2. ^ a b c d e 野本一平「コラムニスト許斐仁さんを悼む」(1998年4月2日羅府新報「木曜随想」掲載)(2023年6月17日閲覧)
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』同窓会員15頁
  4. ^ 実業の日本第52巻第7号(実業之日本社、1949年)47頁