許斐儀一郎
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許斐 儀一郎(このみ ぎいちろう、1896年11月16日 - 1951年[1])は、日本戦前期の前衛写真家。
略歴
[編集]福岡市船町(現・中央区舞鶴)に生まれる[2]。1915年福岡県立中学修猷館を経て[3]、慶應義塾大学に学ぶが、結核療養のため中退し帰郷[2]。療養中は古美術や絵画に親しむが、やがて写真にも興味を持つようになった[1]。
快復後、実家の酒造業・許斐醸造所(のちの花関酒造)を手伝いながら撮影に没頭し、1934年頃に筑紫カメラクラブに入会。1939年には、高橋渡、久野久らと、前衛美術グループ「ソシエテ・イルフ」を結成し、写真雑誌などに作品を発表した[1]。
身近のものを題材にとりながら、被写体の造形的な美を表現するのに優れ、戦前における前衛写真の代表的な作家として知られる[1]。
1951年心不全のため死去[2]。