講安寺
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専修山称仰院講安寺 | |
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所在地 | 東京都文京区湯島4-12-13 |
位置 | 北緯35度42分38.8秒 東経139度46分00.8秒 / 北緯35.710778度 東経139.766889度座標: 北緯35度42分38.8秒 東経139度46分00.8秒 / 北緯35.710778度 東経139.766889度 |
山号 |
專修山 無緣山 |
院号 | 稱仰院(称仰院) |
宗派 | 浄土宗 |
創建年 | 1606年 |
正式名 |
專修山稱仰院講安寺[1] 無緣山法界寺(旧称) 無緣寺(旧称) |
公式サイト | 講安寺 |
法人番号 | 7010005000351 |
講安寺(こうあんじ)は、東京都文京区にある浄土宗の寺院。山号は専修山。無縁坂の北側に位置する。
歴史
[編集]初め無縁山法界寺と称していたが、元和2年(1616年)、湯島天神下より移転、開山上人が同じ境内に無縁寺と名付けた庵を建てる。正保2年(1645年)、無縁寺は坂下側の称仰院、法界寺は坂上側の講安寺となって現在に至る。
『本郷區史』によると
著名人の墓
[編集]- 泉目吉(人形細工師)
- 羊遊齋更山(蒔繪師。俗稱・原粂治、弘化二年歿 享年七十四)
- 中根半仙(書家。名は容字は公黙、又訒齋、玄石、健徒老人の號あり。嘉永二年歿 享年五十二)
- 堀野文禄(明治時代の出版業者、江戸文化の研究家)[2]
年表
[編集]- 1606年(慶長11年) - 講安寺創建。江戸が開府し間もなく、京都知恩院の廻誉重達上人により湯島天神下に創建される。当時は法界寺と称される。
- 1616年(元和2年) - 現在の地に移転。
- 1645年(正保2年) - 法界寺敷地内に隠居庵を設け、無縁寺(現在の稱仰院)と号した。同年、法界寺から講安寺へと寺号を改称する。
- 1683年(天和3年) - 講安寺と稱仰院は敷地を分割し、西側が講安寺敷地となる。
- 1703年(元禄16年) - 江戸の大火により類焼。
- 1708年(宝永5年) - 土蔵造りの本堂を再建。
- 1793年(寛政5年) - 度重なる大火により客殿、庫裡が類焼。
- 1810年(文化7年) - 客殿、庫裡修復工事。
- 1827年(文政10年) - 1827年~1872年までの45年間、第11代将軍徳川家斉の側室「お美代の方」が講安寺に隠棲。1872年6月11日お美代の方講安寺で逝去。
- 1907年(明治40年) - 境内北側にあった講安寺墓地は帝国大学(現東京大学)の敷地拡張のため西巣鴨 に移転。
- 1955年(昭和30年) - 庫裡東側に講安寺湯島墓地を設ける。