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谷儀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷儀一

谷 儀一(たに ぎいち、1881年8月1日 - 1948年7月8日)は、日本の陸軍軍人政治家華族。最終階級は陸軍少将貴族院議員。正三位勲二等功四級子爵谷干城は養祖父に当たる。

履歴

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1881年(明治14年)、東京谷乙猪の嫡男に生まれる。母は村田銃の開発者として知られる軍人村田経芳男爵の長女(愛子)。

長じて学習院に学び、1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業し、翌年2月には歩兵少尉に任官する。

1911年(明治44年)、養祖父干城の薨去に伴い、襲爵して子爵となる。

その後、近衛歩兵第2連隊中隊長をはじめ、同連隊副官近衛歩兵第3連隊大隊長、本郷連隊区司令部付、第1師団副官などを経て、1929年(昭和4年)8月、歩兵大佐に昇進して近衛師団司令部付(拓殖大学服務)となる。

満州事変では、歩兵第5連隊長として出動した。

1934年(昭和9年)3月、陸軍少将に進み、歩兵第3旅団長に着任。同年11月22日発表の論功行賞において、功四級勲三等旭日中綬章、元歩兵第五連隊長として掲載され、新聞各社の号外等により報道された[1]

1935年(昭和10年)3月に待命となり、同月には予備役編入。

同年11月30日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[2]1946年(昭和21年)3月12日まで貴族院議員に在任し[3]研究会に属して活動した[4]

1948年(昭和23年)7月8日薨去。享年68。

栄典

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家族

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脚注

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  1. ^ 藤本尚則『第八師團に輝く行賞』(東京朝日新聞社、1934年11月22日号外)一面及び二面
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。
  4. ^ 議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』47頁。
  5. ^ 『官報』第8424号「叙任及辞令」1911年7月21日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1971年。
  • 『日本陸軍将官辞典』福川秀樹著、芙蓉書房出版、2001年。
  • 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』外山操編、芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


日本の爵位
先代
谷干城
子爵
谷(干城)家第2代
1911年 - 1947年
次代
華族制度廃止