豊国秋篠
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 秋篠王→豊国秋篠 |
官位 | 従五位下・治部大輔 |
主君 | 孝謙天皇→淳仁天皇→称徳天皇→光仁天皇 |
氏族 | 岳基真人→豊国真人 |
子 | 継成 |
豊国 秋篠(とよくに の あきしの)は、奈良時代の皇族・貴族。始め秋篠王を称し、臣籍降下後の氏姓は岳基真人のち豊国真人。敏達天皇の後裔で[1]、刑部卿・竹田王の孫か[2]。官位は従五位下・治部大輔。子に継成がいた。
経歴
[編集]天平勝宝元年(749年)無位から従五位下に直叙される。天平勝宝6年(754年)4月に少納言に任ぜられると、同年閏10月に息子の継成王と姪3名と共に臣籍降下して、丘基真人姓を与えられる。翌天平勝宝7歳(755年)には秋篠を含む同族21人が再び改姓し豊国真人となる。天平宝字7年(763年)雅楽頭。
称徳朝の神護景雲2年(768年)石見守に左遷されるが、神護景雲4年(770年)8月に称徳天皇が崩御すると、翌9月に甲斐守に任ぜられ、10月には京官の治部大輔を兼ねている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 天平勝宝元年(749年) 11月26日:従五位下(直叙)
- 天平勝宝6年(754年) 4月5日:少納言。閏10月19日:臣籍降下(丘基真人姓)
- 天平勝宝7歳(755年) 4月18日:豊国真人に改姓
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:雅楽頭
- 神護景雲2年(768年) 7月1日:石見守
- 神護景雲4年(770年) 9月16日:甲斐守。10月23日:兼治部大輔