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豊姫 (徳川家宣長女)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

豊姫(とよひめ、延宝9年8月26日1681年10月7日) - 天和元年10月21日1681年11月30日))は、江戸幕府の第6代将軍・徳川家宣の長女。生母は家宣の正室・近衛熙子(天英院、近衛基煕の娘)。

生涯

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延宝9年(1681年)8月26日に桜田御殿で生まれた[1] 。豊姫の誕生に熙子の母・常子内親王は日記(『无上法院殿御日記』)で、4、5日に渡りその喜びを綴っており「いつにもましてめでたしめでたし」と連発している[2]

しかし、わずか2ヵ月後の天和元年(1681年)10月21日に早世した。享年1。二本榎の上行寺に葬られ、後に常泉寺に改葬された。法名は清華院殿妙敬日信大童女[1]

徳川将軍家において正室所生の子供は2代将軍・徳川秀忠の娘・和子以降はおらず、豊姫は74年ぶりに生まれた正室所生の子であった。ただし、豊姫が産まれたのは家宣がまだ甲府藩主・徳川綱豊だった時代である。

脚注

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  1. ^ a b 竹内誠『徳川幕府事典』付録1、徳川将軍子女一覧(2003年東京堂出版)P400
  2. ^ 瀬川淑子「皇女品宮の日常生活 ―『无上法院殿御日記』を読む」(2001年岩波書店)P148