豊田市立大蔵小学校
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豊田市立大蔵小学校 | |
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北緯35度09分56秒 東経137度18分55秒 / 北緯35.16564度 東経137.31536度座標: 北緯35度09分56秒 東経137度18分55秒 / 北緯35.16564度 東経137.31536度 | |
過去の名称 |
阿摺村立中部小学校 足助町立大蔵小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊田市 |
設立年月日 | 1874年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 前後期制 |
学校コード | B123210005936 |
所在地 | 〒444-2511 |
愛知県豊田市大蔵町本城9-2 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊田市立大蔵小学校(とよたしりつ おおくらしょうがっこう)は、愛知県豊田市大蔵町にある公立小学校。
概要
[編集]- 校区は足助白山町、大河原町、大蔵町、大塚町、上切山町、小手沢町、塩ノ沢町、摺町、葛町、栃ノ沢町、中立町、西樫尾町、東中山町であり、公立中学校に進学する場合は豊田市立足助中学校へ進学する[1]。
- 豊田市の小規模特認校に指定されており、一部は豊田市内の別の校区から転入学してきた児童である[2]。
- 旧・東加茂郡足助町の小学校であった。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年) - 中立村に中立学校が開校する。
- 1875年(明治8年) - 西樫尾村に樫尾学校が開校する。昌安寺[注釈 1]を仮校舎とする。
- 1877年(明治10年) -
- 中立学校の校舎が完成する。
- 樫尾学校の校舎が完成し、移転する。
- 1878年(明治11年) - 西樫尾村、東渡合村、小町村、御蔵村、実栗村、大蔵村、切山村、小手沢村が合併し、広岡村が発足。
- 1887年(明治20年) - 中立学校が尋常小学中立学校、樫尾学校が尋常小学樫尾学校に改称する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 大河原村、中立村、葛村、摺村、栃ノ沢村、東中山村、大塚村、塩ノ沢村、月原村、広岡村、白山村が合併し、阿摺村が発足。
- 1893年(明治26年) - 尋常小学中立学校が瑞穂尋常小学校に、尋常小学樫尾学校が樫尾尋常小学校に改称する。
- 1894年(明治27年)6月4日 - 阿摺村の一部(中立、葛、摺、栃ノ沢、東中山、大塚、塩ノ沢、深田、東広見)が分立し、瑞穂村が発足。瑞穂尋常小学校は瑞穂村の学校となる。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 阿摺村、瑞穂村、大和村が合併し、阿摺村となる。瑞穂尋常小学校は阿摺村の学校となる。
- 1910年(明治43年) - 瑞穂尋常小学校が阿摺第二尋常高等小学校に、樫尾尋常小学校が阿摺第三尋常小学校に改称する。
- 1914年(大正3年) - 阿摺第二尋常高等小学校と阿摺第三尋常小学校を統合し、阿摺中部尋常高等小学校となる。
- 1922年(大正11年) - 大河原尋常小学校[注釈 2]を統合する。大河原分教場を設置する。
- 1926年(大正15年) - 阿摺青年訓練所を併設する。
- 1935年(昭和10年) - 阿摺青年学校を併設する。
- 1936年(昭和11年) - 大河原分教場が独立し、大河原尋常小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 阿摺村立中部国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 阿摺村立中部小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 足助町、盛岡村、賀茂村、阿摺村が合併し、足助町となる。同時に足助町立大蔵小学校に改称する。
- 1967年(昭和42年) - プールが完成する。
- 1979年(昭和54年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する。
- 1997年(平成9年)4月 - 足助町立大河原小学校[注釈 3]を統合する。
- 2001年(平成13年) - 北舎が完成する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 足助町が豊田市へ編入される。同時に豊田市立大蔵小学校に改称する。
交通アクセス
[編集]- 足助地域バス「あいま~る」「大蔵小学校」バス停より徒歩約3分。 ※運行日注意
周辺施設
[編集]- 阿摺郵便局
- 豊田市立大蔵こども園
- JAあいち豊田営農部大蔵店舗きのこバイオセンター
参考文献
[編集]- 足助町誌編集委員会『足助町誌』愛知県東加茂郡足助町、1975年 pp.398-408 450-456 495-507 843-862