豊田市立追分小学校
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豊田市立追分小学校 | |
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北緯35度7分30.9秒 東経137度17分30.9秒 / 北緯35.125250度 東経137.291917度座標: 北緯35度7分30.9秒 東経137度17分30.9秒 / 北緯35.125250度 東経137.291917度 | |
過去の名称 |
盛岡村立追分小学校 足助町立追分小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 豊田市 |
設立年月日 | 1893年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 前後期制 |
学校コード | B123210005874 |
所在地 | 〒444-2355 |
愛知県豊田市近岡町馬橋4番地2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
豊田市立追分小学校(とよたしりつ おいわけしょうがっこう)は、愛知県豊田市近岡町にある公立小学校。
概要
[編集]- 井ノ口町、篭林町、田振町、近岡町、岩神町が校区であり、公立中学校の進学先は豊田市立足助中学校である[1]。
- 豊田市の小規模特認校に指定されており、一部は豊田市内の別の校区から転入学してきた児童である[2]。
- 旧・東加茂郡足助町の一部(盛岡村)の小学校であった。
沿革
[編集]追分小学校の創立年は明治26年(1893年)である。これは追分尋常小学校となった年である。ここではそれ以前についても記述する。
- 1875年(明治8年)
- 6月 - 大島村、田振村、元山中村、則定村で足助学校の分教場の設置を愛知県に請願する。
- 12月 - 第148番小学大島学校として開校する。
- 1878年(明治11年) - 井ノ口村、寺沢村、近岡村、大島村、田振村が合併し、追分村となる。
- 1880年(明治13年) - 追分村(寺沢・近岡)、岩神村、野林村(籠林)で、足助学校本郷分教場の設置を愛知県に請願するが、校区の問題で保留される。
- 1881年(明治14年) - 追分村(寺沢・近岡)、岩神村、野林村を校区とする大島学校本郷分教場が設置される。
- 1887年(明治20年)4月 - 尋常小学追分学校に改称する。追分村及び野林村の一部(籠林)が校区となる。本郷分教場を廃止する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 追分村、野林村、岩神村、国閑村、上佐切村、上脇村、四ツ松村、東山中村、栃本村、上小田村、沢ノ堂村、上国谷村、下国谷村、桑原田村、中国谷村、下佐切村、平折村が合併し、盛岡村が発足する。
- 1893年(明治26年)9月 - 追分尋常小学校に改称する。
- 1907年(明治40年)1月 - 盛岡第二尋常小学校に改称する。盛岡村の校区の再編により、校区は大島、下国谷、井ノ口、田振、近岡、岩神、籠林となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 盛岡第二国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 盛岡村立追分小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 足助町、盛岡村、賀茂村、阿摺村が合併し、足助町となる。同時に足助町立追分小学校に改称
- 2005年(平成17年)4月1日 - 足助町が豊田市へ編入される。同時に豊田市立追分小学校に改称する。下国谷町の大部分と東大島町が則定小学校校区に移る。
交通アクセス
[編集]- とよたおいでんバス【8系統】さなげ・足助線「足助追分」バス停より徒歩約2分。
参考文献
[編集]- 足助町誌編集委員会『足助町誌』愛知県東加茂郡足助町、1975年 pp.398-408 450-456 495-507 843-862