コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

豊竹嶋太夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

豊竹 嶋太夫(とよたけ しまたゆう)は、日本文楽義太夫節)の「大夫」(太夫)。嶋太夫の名跡は、令和の時代まで8人に継がれている。しまの漢字表記は「島太夫」とも。

初代

[編集]

生没年不詳

初代豊竹若太夫(後の豊竹越前少掾)の門弟。1717年豊竹座に初出演。1725年江戸で終生活動。没年不詳。一時師名の2代目若太夫を名乗る(代外)。

2代目

[編集]

後の2代目豊竹若太夫

3代目

[編集]

(生年不詳 - 1827年

大坂の出身。竹本播磨大掾の門弟。1809年が初出演。竹本文字太夫、竹本島太夫を経て、1820年に3代目島太夫を襲名。1827年京都で死去。

4代目

[編集]

(生没年不詳)

大坂の出身。3代目島太夫の門弟。1827年が初出演。竹本八十太夫、豊竹広太夫、竹本島太夫を経て、1830年に4代目島太夫を襲名。

通称を「平助」。

5代目

[編集]

(生没年不詳)

播磨姫路(現在の兵庫県)の出身。3代目竹本住太夫の門弟。1829年に初出演。竹本高太夫、大島太夫を経て、1843年に5代目島太夫を襲名。江戸にて没した。

通称を「藤助」。

6代目

[編集]

天保元年(1830年) - 明治17年(1884年4月16日)本名は小山(または小西)平吉。

大坂の出身。5代目豊竹湊太夫の門弟。千鳥太夫が6代目嶋太夫を襲名。晩年を金沢で過ごす。

7代目

[編集]

後の10代目豊竹若太夫

8代目

[編集]

1932年昭和7年〉3月7日[1] - 2020年令和2年〉8月20日)本名は村上五郎。

愛媛県松山市(旧北条市)出身。1948年(昭和22年)、3代目豊竹呂太夫(元・7代目嶋太夫)に入門し2代目豊竹呂賀太夫1952年、3代目呂太夫が10代目若太夫を襲名したため、1954年11月に4代目豊竹呂太夫となるが、1955年夏に退座する。1968年4月に3代目竹本春子太夫の門下で復帰し8代目嶋太夫を襲名ともに文楽協会に加入。1969年4代目竹本越路太夫門下。1994年平成6年)4月より切場語り。2008年旭日小綬章を受章。2015年10月重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。同月引退を発表。2016年2月東京公演で引退。2020年令和2年)8月20日、死去[2]。88歳没。

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]