豪頂山傑士
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基礎情報 | ||||
四股名 | 豪頂山 傑士 | |||
本名 | デルゲルサイハン・ウーガンバータル | |||
生年月日 | 1987年8月26日(37歳) | |||
出身 | モンゴル・ウランバートル市 | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 116kg | |||
BMI | 37.88 | |||
所属部屋 | 峰崎部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東幕下7枚目 | |||
生涯戦歴 | 302勝268敗18休(85場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 2006年3月場所 | |||
引退 | 2020年7月場所 | |||
備考 | ||||
2020年8月4日現在 |
豪頂山 傑士(ごうちょうざん まさし、1987年8月26日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で峰崎部屋に所属した元大相撲力士。身長175cm、体重116kg。本名はデルゲルサイハン・ウーガンバータル[1]。最高位は東幕下7枚目(2015年9月場所)。
人物
[編集]子供の時からモンゴル相撲を経験し、中学校ではレスリングを経験した。2003年8月に留学生として青森山田高校に進学し、相撲部に所属した。2006年3月場所、部屋初の外国人力士として初土俵を踏む[2]。当初は四股名を透川豪志と名乗った。四股名の由来は郷里のトール川、下の名の「豪志」は峰崎の下の名に因んだ。四股名「透川」の由来には他にも諸説あり、高校時代の友人の下の名前「透」を拝借したとも、北欧神話にあやかったともされている。新三段目昇進の近づいた2007年9月場所から下の名前を傑士に改名する。幕下昇進まで4年余りを要するなど出世のスピードは平凡な部類であり、透川傑士を名乗った場所では最終となる2013年5月場所までの最高位は西幕下45枚目であった。2013年7月場所からは「士気が上がるからどうだ?」と後援者に勧められ、下の名前をそのままに豪頂山に改名する。するとこの場所の東幕下48枚目から連続して6勝1敗の好成績を上げ、同年11月場所には一気に幕下上位の西幕下7枚目まで番付を駆け上がっていったが、その場所は2勝5敗と負け越した。2015年3月場所で再び西幕下7枚目、同年9月場所では東幕下7枚目の番付だったが、いずれも負け越し、以降は幕下2桁台の番付が続いた。2020年1月場所は初日から入門以来初めての休場となり、2番目の相撲から出場したが、4番目の相撲から再休場。翌3月場所以降も休場し、同年7月場所限りで引退した[3]。
場所別成績
[編集]- 通算成績:302勝268敗18休(85場所)
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2006年 (平成18年) |
x | (前相撲) | 東序ノ口23枚目 5–2 |
東序二段98枚目 4–3 |
東序二段70枚目 3–4 |
西序二段85枚目 4–3 |
2007年 (平成19年) |
東序二段57枚目 5–2 |
東序二段18枚目 2–5 |
西序二段49枚目 4–3 |
西序二段24枚目 4–3 |
西序二段3枚目 4–3 |
東三段目84枚目 3–4 |
2008年 (平成20年) |
西三段目97枚目 4–3 |
東三段目77枚目 3–4 |
東三段目90枚目 3–4 |
西序二段9枚目 3–4 |
西序二段29枚目 3–4 |
東序二段49枚目 7–0 |
2009年 (平成21年) |
東三段目49枚目 4–3 |
東三段目32枚目 2–5 |
西三段目55枚目 4–3 |
西三段目41枚目 5–2 |
西三段目17枚目 3–4 |
西三段目30枚目 3–4 |
2010年 (平成22年) |
東三段目46枚目 4–3 |
東三段目32枚目 3–4 |
東三段目50枚目 6–1 |
東幕下59枚目 3–4 |
東三段目6枚目 4–3 |
西幕下55枚目 2–5 |
2011年 (平成23年) |
西三段目20枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
東三段目7枚目 4–3 |
西幕下45枚目 3–4 |
西幕下51枚目 2–5 |
東三段目14枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
東三段目4枚目 4–3 |
西幕下55枚目 3–4 |
東幕下48枚目 2–5 |
西三段目4枚目 4–3 |
東幕下58枚目 4–3 |
西幕下47枚目 1–6 |
2013年 (平成25年) |
西三段目21枚目 4–3 |
東三段目7枚目 4–3 |
西幕下57枚目 4–3 |
東幕下48枚目 6–1 |
西幕下22枚目 6–1 |
西幕下7枚目 2–5 |
2014年 (平成26年) |
西幕下20枚目 4–3 |
東幕下14枚目 4–3 |
東幕下11枚目 2–5 |
東幕下25枚目 5–2 |
東幕下17枚目 4–3 |
西幕下14枚目 4–3 |
2015年 (平成27年) |
西幕下10枚目 4–3 |
西幕下7枚目 3–4 |
東幕下14枚目 3–4 |
東幕下21枚目 6–1 |
東幕下7枚目 2–5 |
東幕下18枚目 5–2 |
2016年 (平成28年) |
東幕下11枚目 2–5 |
西幕下27枚目 3–4 |
東幕下35枚目 3–4 |
西幕下40枚目 4–3 |
東幕下32枚目 5–2 |
西幕下22枚目 4–3 |
2017年 (平成29年) |
西幕下16枚目 3–4 |
西幕下24枚目 2–5 |
東幕下40枚目 5–2 |
西幕下28枚目 3–4 |
東幕下38枚目 5–2 |
西幕下26枚目 4–3 |
2018年 (平成30年) |
西幕下22枚目 4–3 |
東幕下17枚目 3–4 |
西幕下25枚目 3–4 |
東幕下34枚目 3–4 |
西幕下44枚目 6–1 |
西幕下18枚目 5–2 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
東幕下11枚目 1–6 |
西幕下33枚目 5–2 |
西幕下20枚目 3–4 |
東幕下27枚目 3–4 |
西幕下34枚目 5–2 |
東幕下22枚目 5–2 |
2020年 (令和2年) |
西幕下10枚目 1–2–4[4] |
東幕下38枚目 休場 0–0–7 |
感染症拡大 により中止 |
東三段目23枚目 引退 0–0–7 |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
[編集]- ^ 豪頂山 傑士(峰崎部屋公式サイト)
- ^ 2006年3月14日の『夕刊フジ』 同紙では「津軽弁がペラペラ」とも紹介された。
- ^ 「希善龍ら引退力士を発表 秋場所番付編成会議」『日刊スポーツ』2020年8月5日。2020年8月5日閲覧。
- ^ 1番相撲は休場、2番相撲から出場、4番相撲から再休場(中日は不戦敗)