貝原良介
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貝原 良介(かいばら りょうすけ、1879年8月17日[1] - 1918年10月22日[2])は、日本の教育者、物理学者。
経歴
[編集]福岡藩士族貝原信の長男として、福岡県に生まれる[1]。1898年福岡県立尋常中学修猷館[3]、1901年第五高等学校理科[4]を経て、1904年東京帝国大学理科大学理論物理学科[5]を卒業。
1906年学習院教授に就任し、物理、数学を講じた[6][7]。
1918年10月22日、腎臓病により死去[2]、従五位勲六等[8]。
主な著書
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『人事興信録第5版』(人事興信所、1918年)か35頁
- ^ a b 『大正過去帳 物故人名辞典』(東京美術、1973年)162頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員2頁
- ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校、1936年)197頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(従大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)学士及卒業生姓名277頁
- ^ 『学習院一覧(自大正7年4月至大正8年3月)』(学習院、1918年)111頁
- ^ 『官報(明治39年9月10日)』(大蔵省印刷局)151頁
- ^ 『官報(大正7年10月23日)』(大蔵省印刷局)458頁