貞慎院
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貞慎院(ていしんいん、文化4年12月21日(1808年1月18日) - 明治5年2月22日(1872年3月30日)[1])は、江戸時代後期の女性。尾張藩第12代藩主・徳川斉荘の正室(御簾中)。父は徳川斉匡。母は貞子女王。別名は猶姫。
生涯
[編集]田安徳川家3代当主の徳川斉匡の娘として生まれる。母は正室の貞子女王。
猶姫には何人もの兄弟がいたが、斉匡は実兄である将軍徳川家斉の息子(猶姫の従弟にあたる)徳川斉荘を養嗣子として天保7年(1836年)に跡を継がせ、猶姫をその正室とした。天保10年(1839年)、斉荘は田安家を離れて尾張徳川家を継いだ。
斉荘と猶姫の間に子供はできなかった。1845年(弘化2年)に斉荘が死去すると貞慎院と号した[2]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.165
- ^ “徳川斉荘の家督相続と藩内情勢”. 徳川黎明会. 2023年5月18日閲覧。
- ^ “尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。