賀茂清茂
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賀茂 清茂(かも の きよしげ、1679年12月24日(延宝7年11月22日)- 1754年1月16日(宝暦3年12月23日))は、江戸時代前期から中期の神職、国学者である。家号は中大路。
経歴・人物
[編集]京都の生まれ。賀茂別雷神社の社官であった中大路清令の後を継ぎ、同神社の神職となった。後に伊藤仁斎や出雲路信直、中原職資から国学を学ぶ。
これによって、伏見宮邦永親王ら皇族に『日本書紀』等の古学を講じた。また同時期に岡本季輔と共に「賀茂三手文庫」を創設したり、仏葬の制度の中で神葬祭や神事の復興に携わる等、享保における神道の再興に貢献した。この業績により、1739年(元文4年)に従四位上に叙された。
主な著作物
[編集]- 『賀茂郡記類鑑』
- 『往来田訴論記』
- 『清茂県主日記』