コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

賀谷英司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
賀谷 英司
名前
愛称 エイジ
カタカナ ガヤ エイジ
ラテン文字 GAYA Eiji
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1969-02-08) 1969年2月8日(55歳)
出身地 北海道室蘭市
身長 176cm[1]
体重 71kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1984-1986 日本の旗 登別大谷高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1996 日本の旗 住友/鹿島アントラーズ 104 (0)
1997 日本の旗 横浜マリノス 26 (0)
1998-1999 日本の旗 京都パープルサンガ 0 (0)
2000-2001 日本の旗 ベガルタ仙台 64 (2)
通算 194 (2)
監督歴
2007 日本の旗 コンサドーレ旭川U-15
2010-2011 日本の旗 鹿島Jrユース
2012-2013 日本の旗 鹿島ノルテJrユース
2014 中華人民共和国の旗 杭州緑城U-14
2015 中華人民共和国の旗 杭州緑城U-16
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

賀谷 英司(がや えいじ、1969年2月8日 - )は、北海道室蘭市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはDF

来歴

[編集]

高校卒業後から鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に所属。1993年に開幕したJリーグでは、左サイドバックのレギュラーとしてサントリーシリーズでの優勝に貢献した。しかし、1994年にはのちに日本代表の主力となる相馬直樹の入団とともに出場機会は減少し、1997年には横浜マリノスに移籍。1998年にはサンガに移籍した。

2000年からはベガルタ仙台に移籍し、レギュラーの座をつかむも、2001年限りで選手を引退。2002年からはベガルタのアシスタントコーチに就任し、以後サッカー指導者の道に進む。2003年から2007年までは地元北海道のチームであるコンサドーレ札幌の下部組織で指導を行い、2008年に古巣である鹿島アントラーズの育成組織コーチに就任し、2012年から2年間ジュニアユースの監督を務めた。

娘の賀谷明日光はVリーグ・カノアラウレアーズ福岡に所属した元バレーボール選手[2][3]

所属クラブ

[編集]

指導歴

[編集]
  • 2002年 ベガルタ仙台 コーチ
  • 2003年 - 2005年 コンサドーレ札幌U-15 コーチ
  • 2006年 コンサドーレ札幌U-18 コーチ
  • 2007年 コンサドーレ旭川U-15 監督
  • 2008年 - 2009年 鹿島アントラーズノルテジュニアユース コーチ
  • 2010年 - 2011年 鹿島アントラーズノルテジュニアユース 監督
  • 2012年 - 2013年 鹿島アントラーズジュニアユース 監督
  • 2014年 杭州緑城U-14 監督[4]
  • 2015年 杭州緑城U-16 監督[4]
  • 2016年 - 北海道コンサドーレ札幌U-15 コーチ[4]
  • 2018年 - 2021年 JFAアカデミー福島女子U-18監督
  • 2022年 - 日本経済大学女子サッカー部監督[5]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1987-88 住金 JSL1部
1988-89
1989-90 JSL2部 4 0 0 0
1990-91 16 10 0 0 0
1991-92 9 0 0 0
1992 鹿島 - J - 5 0 3 0 8 0
1993 27 0 6 1 5 0 38 1
1994 35 0 1 0 1 0 37 0
1995 16 0 - 0 0 16 0
1996 1 0 2 0 0 0 3 0
1997 横浜M 2 26 0 5 0 0 0 31 0
1998 京都 3 0 0 1 0 0 0 1 0
1999 3 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 仙台 4 J2 38 2 2 0 1 0 41 2
2001 26 0 1 0 1 0 28 0
通算 日本 J1 105 0 20 1 9 0 134 1
日本 J2 64 2 3 0 2 0 69 2
日本 JSL1部 2 0
日本 JSL2部 23 0 0 0
総通算 194 2

その他の公式戦


脚注

[編集]

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]