賈範
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賈 範(か はん、生年不詳 - 238年(景初2年)は、中国三国時代の将軍。晋書に記述がある。
生涯
[編集]遼東の公孫淵配下。公孫淵が魏に叛いた際、綸直らとともにこれを諌めたため怒りを買い、両名とも殺された。司馬懿は公孫淵の反乱を鎮圧すると、賈範らの墓を手厚く祀り、遺嗣を顕した[1]。
小説『三国志演義』では第106回に登場する。公孫淵の副将であり、ほぼ同様の顛末を辿っている[2]。
脚注
[編集]- ^ 晉書 卷一帝紀第一 (中国語), 晉書/卷001#宣帝, ウィキソースより閲覧。 - 初,文懿篡其叔父恭位而囚之。及將反,將軍綸直、賈範等苦諫,文懿皆殺之。帝乃釋恭之囚,封直等之墓,顯其遺嗣。
- ^ 第百零六回 公孫淵兵敗死襄平 司馬懿詐病賺曹爽 (中国語), 三國演義/第106回, ウィキソースより閲覧。 - 叡封淵為大司馬、樂浪公。淵心不足,與眾商議,自號為燕王,改元紹漢元年。副將賈範諫曰:「中原待主公以上公之爵,不為卑賤;今若背反,實為不順。更兼司馬懿善能用兵,西蜀諸葛武侯且不能取勝,何況主公乎?」淵大怒,叱左右縳賈範,將斬之。(中略)人告懿曰:「賈範、倫直苦諫淵不可反叛,俱被淵所殺。」懿遂封其墓而榮其子孫;