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賤機山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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賤機山城
静岡県
臨済寺から見た賤機山城(背後の山上)
臨済寺から見た賤機山城(背後の山上)
別名 籠鼻、籠山
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 今川範政
築城年 1411年応永18年)ごろ?
主な改修者 武田氏
主な城主 今川氏武田氏
廃城年 1582年天正10年)以降
遺構 曲輪土塁堀切
指定文化財 なし
再建造物 なし
位置 北緯34度59分41.8秒 東経138度22分29.8秒 / 北緯34.994944度 東経138.374944度 / 34.994944; 138.374944座標: 北緯34度59分41.8秒 東経138度22分29.8秒 / 北緯34.994944度 東経138.374944度 / 34.994944; 138.374944
地図
賤機山城の位置(静岡県内)
賤機山城
賤機山城
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賤機山城(しずはたやまじょう)は、静岡県静岡市葵区大岩・籠上・昭府町にあった日本の城

概要

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市内を南北に流れる安倍川の左岸に沿うように伸びる賤機山(標高171メートル)山頂にある。築城年代は駿河守護今川範政駿府に入った1411年応永18年)ごろとされるが、さらに古いとする意見もある[1]

馬の背状の尾根最上部に本曲輪を構え、櫓台土塁が配置されている。南北の尾根にも複数の曲輪があり、狭い尾根筋には堀切を設けて遮断し防御性を高めている。本曲輪のある山頂は今川館(後の駿府城)の北西、今川氏の菩提寺である臨済寺の真裏にあたり、詰の城であったとされている[1]

甲陽軍鑑』等の史料では「籠鼻」や「籠山」の名で登場し、武田信玄駿河を侵攻した1568年永禄11年)の12月13日に武田勢に占拠されて落城。この時、武田側により一部改修が加えられた可能性が指摘されている[2]。その後さらに1582年天正10年)の徳川家康入府の際に再び落城し、廃城となったという[1]

現在の賤機山は市街地に程近いハイキングコースとなっており、曲輪堀切などの遺構を見ることが出来る。

県庁21階から見た賤機山。写真右側のピーク付近に城跡がある。

脚注

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  1. ^ a b c 山本 2009 pp.126
  2. ^ 山本 2009 pp.128

参考文献

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関連項目

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