赤井塚古墳
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赤井塚古墳 | |
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墳丘(右に石室開口部) | |
所属 | 美旗古墳群 |
所在地 | 三重県名張市上小波田 |
位置 | 北緯34度38分39.50秒 東経136度8分33.43秒 / 北緯34.6443056度 東経136.1426194度座標: 北緯34度38分39.50秒 東経136度8分33.43秒 / 北緯34.6443056度 東経136.1426194度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径22m(推定復元30m) 高さ8.5m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「美旗古墳群」に包含 |
地図 |
赤井塚古墳(あかいづかこふん)は、三重県名張市上小波田(かみおばた)にある古墳。形状は円墳。美旗古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
概要
[編集]三重県西部の上野盆地南部、名張川支流の小波田川北岸の丘陵上に築造された大型円墳である。北の台地上に展開する美旗古墳群の前方後円墳5基からはやや南に離れて所在する。これまでに墳丘裾部は耕作による削平を受けているほか、発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、現存直径22メートル(推定復元約30メートル)・高さ8.5メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長12.6メートルを測る大型石室であり、伊賀地方では最大規模の石室として注目される。副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2]。美旗古墳群では、4世紀末の殿塚古墳から6世紀初頭の貴人塚古墳まで1世代1墳の間隔で前方後円墳5基が築造され、伊賀南部の首長系譜として理解されるが、赤井塚古墳はその後に大型円墳として築造された古墳になる[2]。赤井塚古墳をもって大型古墳の築造は途絶えており、伊賀地方の政治的情勢を考察するうえで重要視される古墳になる。
古墳域は1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている(史跡「美旗古墳群」のうち)。現在では石室内への立ち入りは制限されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2][1]。
- 石室全長:12.6メートル
- 玄室:長さ5.7メートル、幅2.4メートル、現在高さ3.5メートル
- 羨道:長さ6.8メートル、幅1.3メートル、現在高さ1.4メートル
石室の石材は片麻岩・花崗岩で、2メートル程度を測る大石が使用される。奥壁・前壁は持ち送る。玄室の天井石は2枚[2][1]。
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石室俯瞰図
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
脚注
[編集]- ^ a b c 名張市史 資料編 考古 2010.
- ^ a b c d 三重県史 資料編 考古1 2005.
参考文献
[編集]- 史跡説明板(名張市・名張市教育委員会設置)
- 地方自治体発行
- 「美旗古墳群」『三重県史 資料編 考古1』三重県、2005年。
- 「美旗古墳群」『名張市史 資料編 考古』名張市、2010年。
- 事典類
- 「美旗古墳群」『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490247。
- 大塚初重「美旗古墳群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。