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赤星 重規(あかほし しげのり)は、室町時代末期から戦国時代にかけての武将。肥後国国人[1]。赤星氏10代当主。
肥後菊池氏正統断絶後、菊池郡赤星村を本拠とし、菊池領内国人の指導に当たった[1]。文明13年(1481年)若くして万句連歌に参加する[1]。
永正2年(1505年)には菊池義武や阿蘇惟長の継嗣推戴の筆頭を務めた[1]。