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赤星重規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
赤星重規
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 九郎[1]
官位 弾正少弼[1]
氏族 赤星氏
父母 赤星政継[1]
武規新開治真[1]
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赤星 重規(あかほし しげのり)は、室町時代末期から戦国時代にかけての武将肥後国国人[1]赤星氏10代当主。

略歴

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肥後菊池氏正統断絶後、菊池郡赤星村を本拠とし、菊池領内国人の指導に当たった[1]文明13年(1481年)若くして万句連歌に参加する[1]

永正2年(1505年)には菊池義武阿蘇惟長の継嗣推戴の筆頭を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 阿部猛西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社、p.17(1987)