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赤松寅七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
赤松寅七
あかまつ とらしち
生年月日 1882年9月10日
出生地 日本の旗 日本 福岡県嘉穂郡
没年月日 (1971-06-20) 1971年6月20日(88歳没)
出身校 陸軍大学校卒業
前職 陸軍軍人
所属政党翼賛政治会→)
日本進歩党
称号 正八位

選挙区 福岡県第2選挙区
当選回数 1回
在任期間 1942年4月30日 - 1945年12月18日

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赤松 寅七(あかまつ とらしち、1882年明治15年)9月10日[1] - 1971年昭和46年)6月20日[2])は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍少将衆議院議員福岡県嘉穂郡庄内町長

経歴

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福岡県嘉穂郡で赤松善五郎の二男として生まれる[3][4]福岡県立東筑中学校を経て[3]1904年10月24日、陸軍士官学校(16期)を卒業し、同年11月1日、陸軍歩兵少尉に任官[5]日露戦争に出征した[2]

歩兵第20連隊中隊長を経て[2]1917年11月27日、陸軍大学校(29期)を卒業[6]。以後、 参謀本部附、第13師団参謀、歩兵第20連隊長、第12師団司令部附(長崎医科大学配属将校)、歩兵第42連隊長などを歴任[2][5]1934年3月5日、陸軍少将に進級と同時に待命となり、同月16日、予備役に編入された[1][5]。その後、帰郷して在郷軍人の世話を行い、国防思想普及に努めた[3]

1942年4月、第21回衆議院議員総選挙翼賛政治体制協議会の推薦を受け福岡県第二区から出馬して当選[2]翼賛政治会政調陸軍委員を務めた[3]。戦後、推薦議員のため公職追放となり[7]、のち庄内町長となった[2]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』18頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』15頁。
  3. ^ a b c d 『翼賛議員銘鑑』13頁。
  4. ^ 『人事興信録』第14版 上、ア65頁。
  5. ^ a b c 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』205、213頁。
  6. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、566頁。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(日比谷政経会、1949年)「一般該当者名簿」9頁。
  8. ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。