赤目城
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赤目城 (愛知県) | |
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一心寺に移築された城門 | |
別名 | 横井屋敷 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 横井時永 |
築城年 | 明応2年(1493年) |
主な城主 | 横井時永、横井時勝、横井時泰 |
遺構 | 移築門、堀跡、説明板 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度12分05.8秒 東経136度41分54.6秒 / 北緯35.201611度 東経136.698500度座標: 北緯35度12分05.8秒 東経136度41分54.6秒 / 北緯35.201611度 東経136.698500度 |
地図 |
赤目城(あかめじょう)は、愛知県愛西市赤目町にあった日本の城(平城)。
歴史
[編集]明応2年(1493年)地元の豪族で北条時行の末裔、横井時永が築城し一族を率いて現在の元赤目に居住し、延宝3年(1675年)この地に移住した。
2代目城主、横井時勝は足利義輝の家臣に加わり、3代目城主の横井時延は織田信長の家臣に加わった。その後、4代目城主、横井時泰は織田信長・織田信雄・豊臣秀吉・徳川家康に属した。
横井時延の三男、横井治太夫は紀州徳川家に属し、自ら紀州横山家を起こして分家し、横井時延の四男、五男の横井時朝、横井時久は関ヶ原の戦いにより時朝は海西郡藤ヶ瀬村で1200石を得て藤ヶ瀬横井家を起こして分家し、時久は中島郡祖父江村で1900石を得て祖父江横井家を起こし現在に至る。
江戸時代になると横井氏は代々、尾張藩主の重臣として働き、給人として特別な待遇を受けて明治時代に至る。
現在では城門が一心寺に移築され、付近にある赤城神社が城跡の遺跡とされており(遺跡番号393001)[1]、城に関する説明版が置かれている。
現地情報
[編集]所在地
[編集]交通アクセス
[編集]- 鉄道
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 八開村史編纂委員会編 『八開村史 通史編』 平成12年
- 山田柾之著 史跡散策『愛知の城』 平成5年9月
外部リンク
[編集]- ちえぞー!城行こまい 赤目城 - ウェイバックマシン(2007年10月13日アーカイブ分)