赤間嘉之吉
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赤間 嘉之吉(あかま かのきち、1868年3月21日(慶応4年2月28日[1]) - 1926年(大正15年)8月24日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、伊藤商店総支配人、東亜煙草理事、九州興業社長。
略歴
[編集]1868年(慶応4年2月)に筑前国嘉穂郡鎮西村にて生まれる。和仏法律学校(現・法政大学)を卒業後、大蔵省煙草専売局事務官などを経て、伊藤商店の総支配人となる。
1917年(大正6年)に第13回衆議院議員総選挙に当選する(当選2回、政友会)。
また、九州興業社長、東亜煙草理事、東京電気雷管・大正鉱業の監査役などを歴任した。
1926年(大正15年)8月24日に死去、享年59。
人物
[編集]大蔵省を経て、筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の右腕として、伊藤家の支配人となる。いわゆる白蓮事件では、その決着を図るため、伝右衛門の妹婿・伊藤鉄五郎とともに上京、伊藤燁子(柳原白蓮)を伊藤家から正式に離縁する事、燁子の財産の処分などを取り決めた。
脚注
[編集]- ^ 漆崎多四郎『貴衆両院議員名鑑』、1919年、p.30。