趙串珠
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趙 串珠(ちょう かんじゅ、1114年 - ?)は、北宋の徽宗の第25皇女(夭逝を除いて第14皇女)。
経歴
[編集]徳妃崔氏(後に淑妃、庶人となった)の三女として政和4年(1114年)2月に生まれ、100日で(5月27日)、寧福帝姫の位を授けられた。
靖康の変後、金に連行され、陳王完顔宗雋の側室となった。金の天会8年(1130年)6月、次婦の位を授けられた。
天眷2年(1139年)7月、完顔宗雋が処刑された。天眷3年(1140年)2月、趙串珠は熙宗の宮に入れられた。皇統元年(1141年)、趙串珠は夫人の位を授けられた。以後の動静は不明であるが、『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であったという。
子女
[編集]- 完顔氏(男子) - 完顔宗雋との子。父の処刑後、冷山に移住した。
伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』