趙俁
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趙 俁(ちょう ぐ、元豊6年(1083年)- 天会5年4月16日(1127年6月4日))は、北宋の神宗の十二男。哲宗の異母弟で、母は美人林氏(後の貴妃)。
経歴
[編集]元豊6年(1083年)9月に生まれ、元豊7年(1084年)8月に成国公に封ぜられた。元豊8年(1085年)4月、兄の哲宗により咸寧郡王に封ぜられた。紹聖5年(1098年)3月、莘王に進封された。
元符3年(1100年)に哲宗が崩じた際、嗣子がなかった。皇太后向氏が不恭[1]を口実に、趙俁の後継に反対した。同年3月、帝位を継いだ兄の徽宗により衛王に再進封された。
大観2年(1108年)1月、燕王に進封された。靖康の変後、金に連行された。金の天会5年4月16日(1127年6月4日)、餓死した。遺体は馬槽に納められて火葬に付された。
家族
[編集]みな金に連行された。
伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『宋会要輯稿』
- 『曾公遺録』