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趙正哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
趙正哲
各種表記
チョソングル 조정철
漢字 趙正哲, 趙政哲
発音: チョ・ジョンチョル
日本語読み: ちょう・せいてつ
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趙正哲の墓碑(大城山革命烈士陵

趙 正哲(チョ・ジョンチョル、조정철、1916年 - 1951年3月)は、朝鮮半島独立運動家共産主義者朝鮮民主主義人民共和国政治家軍人

咸鏡南道徳城郡出身[1]。徳成学校中学校課程修了[2]。学生運動で逮捕されて出獄した後、1933年の春に抗日パルチザンに身を投じ、東北人民革命軍第2師第1団で活動[1]1935年には安図県一帯で戦闘した[1]。1936年、東北抗日連軍第2軍第4師隊員[1]。1937年5月、茂山地区での国内進攻作戦に中隊長として参加し、その年の間は在満韓人祖国光復会員として咸鏡北道一帯で活動した[1]1939年7月末に抗連第1路軍第3方面軍第13団政治委員となった[1]1940年、第3方面軍警衛旅第2団政治委員[3]。同年11月入ソ[1]

解放後の1946年、保安幹部等に政治軍事教育を行う平壌学院の創設を安吉らとともに主導し[4]、平壌学院政治副院長を務める[5]。また、清津海洋大学学長[1]、海軍軍官学校政治副校長[6]などを務め朝鮮人民軍海軍の創建にも関与した。1949年2月、第3級国旗勲章受章[1]朝鮮戦争では朝鮮人民軍南海旅団(この部隊は元山市松島に駐留していた海軍陸戦隊を改編したもの[6])政治委員を務めたが[1]、後退に失敗したため南部での遊撃戦に転じ、1951年3月全羅南道長興郡有治地区において戦死[1]。この時に旅団長李青松も戦死した。

脚注

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参考文献

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  • 강만길; 성대경 編「조정철」『한국사회주의운동인명사전』창작과비평사、1996年、462頁。ISBN 8936470302 
  • 박상수 (2010), “한국역대인물 종합정보 시스템”, 한국학중앙연구원, 韓国学中央研究院, http://people.aks.ac.kr/front/tabCon/ppl/pplView.aks?pplId=PPL_7HIL_A1916_1_0025995 2018年1月29日閲覧。 
  • 6⋅25전쟁사2 북한의 전면남침과 초기 방어전투, 国防部軍史編纂研究所, (2005), http://medcmd.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201509140304490130.pdf 2018年8月5日閲覧。 
  • 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。ISBN 4-58-245603-0 
  • 박동찬 (2009), “평양학원(平壤學院)”, 한국민족문화대백과사전, 韓国学中央研究院, http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0066865 2019年7月4日閲覧。 
  • 김선호『조선인민군 : 북한 무력의 형성과 유일체제의 기원』한양대학교 출판부、2020年。ISBN 9788972186809