趙汝适
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趙 汝适(ちょう じょかつ、乾道6年3月24日[1](1170年4月12日)- 紹定4年7月12日[1](1231年8月11日))は、中国南宋の官僚・著述家。
生涯
[編集]北宋の太宗の八世の孫にあたる。玄祖父は英宗の実弟の趙宗治。高祖父は趙仲忽。曾祖父は趙士説。祖父は趙不柔。父は趙善待。
孝宗治世下の乾道6年(1170年)に台州天台県に生まれた[2]。慶元2年(1196年)に進士に合格し、慶元6年(1200年)に湘潭県令に任じられる。嘉定9年(1216年)に臨安府通判、嘉定16年(1223年)に南剣州知州、嘉定17年(1224年)に福建路提挙市舶司を経て、宝慶元年(1225年)に泉州市舶司として着任。
趙汝适は泉州市舶司に在任中、アラビア商人などから地理・風土・物産に関する海外情報を収集して、上下2巻の地誌『諸蕃志』を著した。