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趙炳漢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

趙 炳漢(チョ・ビョンハン、朝鮮語: 조병한/趙炳漢1902年11月10日 - 没年不詳)は、大韓民国実業家政治家制憲韓国国会議員[1]

経歴

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慶尚北道聞慶郡(現・聞慶市)出身。聞慶公立普通学校(現・聞慶初等学校)、大邱高等普通学校、旧制の第三高等学校、東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒[1]

株式会社テドン貿易公社社長、マンジュ家畜振興株式会社監査役などを務めた[1]朝鮮戦争時の1950年9月2日、鐘路区にて北朝鮮側の関係者3名により拉致された[2]

1956年7月より在北平和統一促進協議会中央委員を務め[3] 、1958年に江界市方面の農場に移住したとされるが、以後消息不明[4]

脚注

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  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年9月23日閲覧。
  2. ^ 2115.조병한 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年9月23日閲覧。
  3. ^ 霞関会 編『現代朝鮮人名辞典 1962年版』世界ジャーナル社、1962年8月1日、314頁。NDLJP:2973328/217 
  4. ^ 북한총람 중 납북인사명단(4)-아자차하 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年9月23日閲覧。