趙藩
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趙藩 | |
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プロフィール | |
出生: | 1851年(清咸豊元年) |
死去: |
1927年(民国16年)9月26日 中華民国雲南省昆明市 |
出身地: | 清雲南省麗江府剣川州向湖村 |
職業: | 政治家・詩人・能書家 |
各種表記 | |
繁体字: | 趙藩 |
簡体字: | 赵藩 |
拼音: | Zhāo Fān |
ラテン字: | Chao Fan |
和名表記: | ちょう はん |
発音転記: | ジャオ ファン |
趙 藩(ちょう はん)は清末民初の政治家、詩人、能書家。字は樾村または介庵、号は蝯仙、晩号は石禅老人。ペー族(白族)出身。
1851年、雲南省剣川県向湖村に生まれる。幼い頃より父親から教育を受け、1875年に郷試に合格、挙人となる。官は川南道按察使に至った。18歳の時に杜文秀のパンゼーの乱鎮圧に参加したことがあったが、後に清朝の堕落と腐敗に絶望し、辛亥革命に参加した。1913年に衆議員に選ばれたが、時事を風刺する詩を作ったため、袁世凱に逮捕されそうになった。雲南省に難を避けて、門下生であった蔡鍔の第三革命に参加した。1917年、雲貴総督唐継尭の勢力を代表して広州に赴き、孫文の軍政府の交通部長となった。1920年に辞職して雲南省に戻り、雲南省図書館館長となった。晩年は『雲南叢書』の編纂など、文化事業に尽力した。
著作には、詩文集として『向湖村舎詩初集』『向湖村舎詩二集』『向湖村舎雑著』、楹聯集として『介庵楹句集鈔』『介庵楹句続編』『介庵楹句正続合鈔』がある。書にも造詣が深く、書法は顔真卿と銭灃の影響を受けている。