足利千寿王
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 正平6年/観応2年7月27日(1351年8月19日) |
死没 | 正平10年/文和4年7月22日(1355年8月30日) |
氏族 | 足利氏(足利将軍家) |
父母 | 父:足利義詮、母:渋川幸子 |
兄弟 | 千寿王、義満、柏庭清祖、満詮、廷用宗器、宝鏡寺殿 |
足利 千寿王(あしかが せんじゅおう)は、南北朝時代の足利将軍家の一族。室町幕府第3代将軍・足利義満の異母兄。
生涯
[編集]第2代将軍・足利義詮の長男で、生母は正室・渋川幸子。義詮の幼名と同じく千寿王と名付けられ、足利将軍家の後継者と目されていたが、5歳で早世した。その後、義詮と幸子の間には子供が生まれなかったため、側室・紀良子との間に生まれた春王(義満)が嫡子となり、後に第3代将軍となる[1]。
脚注
[編集]- ^ 臼井信義『足利義満』(新装)吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年、11頁。ISBN 4-642-05150-3。