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足利千寿王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
足利 千寿王
時代 南北朝時代
生誕 正平6年/観応2年7月27日1351年8月19日
死没 正平10年/文和4年7月22日1355年8月30日
氏族 足利氏足利将軍家
父母 父:足利義詮、母:渋川幸子
兄弟 千寿王義満柏庭清祖満詮廷用宗器宝鏡寺殿
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足利 千寿王(あしかが せんじゅおう)は、南北朝時代足利将軍家の一族。室町幕府第3代将軍・足利義満の異母兄。

生涯

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第2代将軍・足利義詮の長男で、生母は正室渋川幸子。義詮の幼名と同じく千寿王と名付けられ、足利将軍家の後継者と目されていたが、5歳で早世した。その後、義詮と幸子の間には子供が生まれなかったため、側室・紀良子との間に生まれた春王(義満)が嫡子となり、後に第3代将軍となる[1]

脚注

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  1. ^ 臼井信義『足利義満』(新装)吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年、11頁。ISBN 4-642-05150-3