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足利夫人 (織田信長の娘)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

足利夫人(あしかがふじん、生没年不明)は、安土桃山時代女性織田信長の娘とも、元側室ともされる。室町幕府の第15代将軍・足利義昭側室か妾[1]

生涯

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彼女は織田信長秘蔵の「虎福女」と伝わっているが、経歴や信長との関係は判然としていない。信長の娘とも、元側室ともされる。信長の死後、信長の家族は豊臣秀吉に庇護されていたので、彼女も庇護されていたものと推測される。義昭は信長に京都を追放され、信長没後に秀吉に庇護されていた。彼女は秀吉の命令で天正19年(1591年)4月26日、剃髪して昌山と号していた義昭に嫁いでいる[2]

脚注

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  1. ^ 岡田正人『織田信長総合事典』雄山閣、1999年、180頁。 
  2. ^ 『多聞院日記』においては「大門一昨日ヨリ小(大)坂ヘ御越、去月廿六日商(昌)山様ヘ関白ヨリ祝言在之、信長ノヒサウノ虎福女也ト、依之為御礼御越輿」とある。現代語訳すると「大門(大乗院門跡)の義尋が一昨日より大坂へ出向いた。去る4月26日に父親の昌山(足利義昭)の下へ関白・豊臣秀吉から輿入れが行なわれた。信長秘蔵の虎福女であるという。義尋はそのお祝いのために大坂へ出向いた」(多聞院日記、天正19年5月11日条)。