身延別院
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身延別院 | |
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所在地 | 東京都中央区日本橋小伝馬町3-2 |
位置 | 北緯35度41分26.7秒 東経139度46分39.8秒 / 北緯35.690750度 東経139.777722度座標: 北緯35度41分26.7秒 東経139度46分39.8秒 / 北緯35.690750度 東経139.777722度 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 願満高祖日蓮大菩薩 |
創建年 | 明治16年(1883年) |
開山 | 新居日薩 |
文化財 | 木造日蓮聖人坐像(東京都指定有形文化財) |
公式サイト | 小伝馬町身延別院 |
法人番号 | 9010005000309 |
身延別院(みのぶべついん)は、東京都中央区にある日蓮宗の寺院。身延山久遠寺の別院でもある。高野山真言宗の大安楽寺の隣にある[1]。
歴史
[編集]1883年(明治16年)、新居日薩によって開山された。当地はかつての伝馬町牢屋敷で、明治期に入って廃止されると、誰も住む者もなく空地となった。そこで、獄死者・刑死者の菩提を弔うべく創建されたのが当院である[2]。
開山以来、当院管理者は本山から派遣される任期ありの「別当制」であったが、1942年(昭和17年)からは「住職制」に切り替えられた。2020年(令和2年)時点での住職は第3世となっている[3]。
門前には、かつて同じ日蓮宗の瑞法光寺が存在していた[4]。1987年(昭和62年)に茨城県取手市に移転した[5]。
本尊
[編集]当院の本尊は、「願満高祖日蓮大菩薩像」と呼ばれる日蓮像である。1310年(延慶3年)に龍華樹院日像によって作られたものであり、これまでは本山の身延山久遠寺に安置されていた[2]。高さは71センチメートルで、東京都の有形文化財に指定されている[1]。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に際しては、本尊をはじめとする寺宝を持ち出し、病院の患者を乗せていた伝馬船に何とか乗せることができた。しかし患者の上陸後、火の手が船の近くにまで及び、船が行方不明になってしまった。半月後、船橋の海岸に無人の船が漂着し、過去帳から当院のものと判明した。1945年(昭和20年)2月15日の空襲でも、焼夷弾が本尊の側に落ちたのにもかかわらず、何故か燃え広がることはなかった。当院では「霊像の加護の賜と一層有り難味を覚えるものである」「大聖人のなせる奇瑞」としている[2]。
交通アクセス
[編集]- 小伝馬町駅より徒歩1分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 北原進、山本純美著、東京にふる里をつくる会編『中央区の歴史 (東京ふる里文庫21)』名著出版、1979年
- 金山正好、金山るみ 著『中央区史跡散歩(東京史跡ガイド2)』学生社、1993年