軽石軌道
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(軽石軌道株式会社から転送)
軽石軌道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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路線総延長 | 8.21 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 762 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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軽石軌道(がるいしきどう[注 1])は、かつて北海道に存在した馬車鉄道。
概要
[編集]名称は軽川(がるかわ)村(現在の札幌市手稲区)と石狩(いしかり)町(現在の石狩市親船町付近)とを結ぶ計画だったことに由来するが、実際に軌道が敷設されたのは起点の国鉄函館本線軽川駅(現・手稲駅)から花畔(ばんなぐろ)駅(現在の石狩市役所付近)までに留まった。花畔駅の近くを石狩川(1931年に流路を変更、現在は茨戸川)が流れており、船との乗り換え、積み替えが行われた。地元の住民からは「けいせききどう」とも呼ばれたという。
沿革
[編集]- 1920年(大正9年)11月10日:軌道特許状下付(札幌郡手稲村-同郡石狩町間)[1]
- 1921年(大正10年)5月4日:軽石軌道設立[2][3]
- 1922年(大正11年)10月28日:軽川 - 花畔間が開業[2]
- 1928年(昭和3年)5月30日:軌道特許状下付[4]
- 1935年(昭和10年)7月:軌道特許失効(指定ノ期限マデニ工事竣工セサルタメ石狩郡石狩町地内5哩49鎖)[5]
- 1937年(昭和12年)9月:営業休止
- 1940年(昭和15年)10月23日:廃止
車両
[編集]路線
[編集]路線データ
[編集]- 路線距離(営業キロ):軽川 - 花畔間8.21km(5.1マイル)
- 軌間:762mm
- 動力:馬
- 運行形態(開業時):1日3往復、片道約40分、1区間6銭
- 旅客数:14,873人(1930年)[6]
- 道内私鉄旅客数ランキング28位(1930年)[6]
- 1日平均乗降人員:20-30人
駅一覧
[編集]所在地・事業者名は営業休止時点のもの。全駅北海道に所在
駅名 | 駅間キロ (駅間マイル) |
営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
開業区間 | 軽川駅 | - | 0.0 | 鉄道省:函館本線 | 札幌郡手稲村 |
新川駅 | 2.1 (1.3マイル) |
2.1 | |||
南4線駅 | 1.8 (1.1マイル) |
3.9 | 石狩郡石狩町 | ||
南7線駅 | 1.8 (1.1マイル) |
5.7 | |||
南9線駅 | 1.1 (0.7マイル) |
6.8 | |||
花畔駅 | 1.4 (0.9マイル) |
8.2 | |||
未開業区間 | |||||
北7線駅 | |||||
北5線駅 | |||||
北3線駅 | |||||
基線駅 | |||||
石狩駅 | |||||
石狩川畔駅 |
輸送・収支実績
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 拓殖補助金(円) |
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1922 | 1,223 | 0 | 631 | 1,640 | ▲ 1,009 | |||
1923 | 18,430 | 1,907 | 9,928 | 7,796 | 2,132 | 3,608 | 3,762 | |
1924 | 17,111 | 1,410 | 7,773 | 8,157 | ▲ 384 | 4,825 | 5,024 | |
1925 | 21,025 | 1,570 | 9,093 | 9,435 | ▲ 342 | 償却金1,900 | 3,308 | 5,027 |
1926 | 21,328 | 1,347 | 9,530 | 9,615 | ▲ 85 | 2,243 | 5,027 | |
1927 | 17,620 | 1,474 | 8,281 | 9,057 | ▲ 776 | 1,923 | 5,656 | |
1928 | 19,019 | 1,417 | 8,607 | 10,007 | ▲ 1,400 | 1,900 | 5,655 | |
1929 | 14,571 | 929 | 6,074 | 8,971 | ▲ 2,897 | 2,119 | 5,656 | |
1930 | 14,873 | 966 | 6,411 | 11,172 | ▲ 4,761 | 1,812 | 5,681 | |
1931 | 10,845 | 2,052 | 5,143 | 9,801 | ▲ 4,658 | 2,106 | 5,738 | |
1932 | 6,441 | 195 | 2,380 | 5,447 | ▲ 3,067 | 2,039 | 5,738 | |
1933 | 5,451 | 174 | 2,019 | 4,758 | ▲ 2,739 | 雑損102 | 2,213 | 5,738 |
1934 | 3,628 | 173 | 1,427 | 5,010 | ▲ 3,583 | 雑損158 | 1,979 | 5,738 |
1935 | 1,988 | 29 | 624 | 3,945 | ▲ 3,321 | 雑損51 | 991 | 5,594 |
1936 | 1,599 | 40 | 550 | 3,856 | ▲ 3,306 | 雑損50 | 2,094 | 5,595 |
1937 | 報告書未着 | |||||||
1938 | 報告書未着 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1920年11月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『帝国銀行会社要録. 第20版(昭和7年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1928年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許取消」『官報』1935年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 今尾・原 (2010) (P11)
参考文献
[編集]- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 1 北海道、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790019-7。
- 今尾恵介・原武史(監修)『日本鉄道旅行歴史地図帳』 1 北海道、新潮社、2010年。ISBN 978-4-10-790035-7。
- 濱田啓一「失われた鉄道・軌道をたすねて 軽石軌道」『鉄道ピクトリアル』No.444 1985年3月号
関連項目
[編集]- 日本の廃止鉄道路線一覧
- 北海道道44号石狩手稲線
- 石狩モノレール
- 石狩鉄道(札幌臨港鉄道)