辛錫斌
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辛 錫斌(シン・ソクピン、朝鮮語: 신석빈、1909年1月24日[1] - 1986年6月4日[2])は、大韓民国の公務員、政治家。第2代韓国国会議員。本貫は寧越辛氏[3]。
経歴
[編集]全羅北道井邑郡(現・井邑市)生まれ。井邑農業高等学校卒。全羅北道内務局長を経て、1950年の第2代総選挙に井邑郡甲選挙区から無所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた[3]。
1950年6月の朝鮮戦争時に鐘路区の旅館に下宿していた際、北朝鮮に拉致された[1][4]。1950年12月には再教育のために満浦付近に移住させられ、1951年7月に厳恒燮などと共に休戦運動を行い、即時終戦と休戦交渉を訴える文書を作成する作業に参加した[3]。1956年7月は在北平和統一促進協議会発起人兼中央委員、1958年の年末ごろに平安北道に強制的に移住させられた[4]。その後の動向は定かではないが、1964年7月26日からは安在鴻らと共に平壌放送に出て「拉致されたことがない」と述べた[5]。1986年6月4日に病死したとされる[2]。
脚注
[編集]- ^ a b “46.신석빈 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年10月24日閲覧。
- ^ a b “납북 제헌ㆍ2대 국회의원 현황”. legacy.www.hani.co.kr (2000年12月21日). 2023年10月24日閲覧。
- ^ a b c “신석빈(辛錫斌)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年10月24日閲覧。
- ^ a b “북한 총람 중 납북인사 명단(3)-나마바사 - 6·25전쟁납북인사가족협의회”. www.kwafu.org. 2023年10月24日閲覧。
- ^ “<唐慌(당황)한北傀(북괴)> 억지「聲討大會(성토대회)」”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1964年8月25日). 2023年10月24日閲覧。