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近藤 五郎右衛門(こんどう ごろうえもん、1831年(天保2年) - 1913年(大正2年)6月9日)は、日本の実業家、俳人。俳号は南隣舎五山(吾山)。[1][2]
福井県大野郡大野町(現:大野市)の老舗呉服屋あらころ呉服店の店主[3]。亀城銀行取締役[4]、大野商法会議所役員[5]。
1913年(大正2年)6月9日死亡[6]。
養嗣子は福井県会議員の近藤金次郎[3]。孫は大野町町長の近藤由太郎[3]。曽孫は洋画家の近藤五郎(吾郎)。
- 踏伸す足に藻を巻く蛙かな (硯の筐・水音の技折・散るさくら・山斜九羅)[1]
- ^ a b 『越前俳諧提要』石川銀栄子、1964年、21頁。
- ^ 『越前の古俳諧』石橋重吉 編、1940年、158頁。
- ^ a b c 『織物要鑑』東京信用交換所大阪支所、1918年、257頁。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1903年、564頁。
- ^ 『写真集明治大正昭和大野 : ふるさとの想い出76』、52頁
- ^ 『官報 1913年07月02日』大蔵省印刷局、1913年、58頁。