近藤啓吾
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人物情報 | |
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別名 |
字:子発 号:紹宇、靖献書屋主人、拾穂書屋主人 |
生誕 |
1921年12月28日 日本・静岡県 |
死没 |
2017年12月25日(95歳没) 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大東文化学院 |
両親 | 父:近藤保二郎 |
学問 | |
時代 | 昭和・平成 |
学派 | 崎門学派 |
研究分野 | 崎門学 |
研究機関 |
金沢工業大学 國學院大學 |
影響を受けた人物 |
平泉澄 内田周平 岡直養 |
学会 |
日本学協会 藝林会 神道史学会 神道宗教学会 |
近藤 啓吾(こんどう けいご、1921年(大正10年)12月28日 - 2017年(平成29年)12月25日)は、日本の崎門学者。金沢工業大学教授。字は子発。号は紹宇、靖献書屋主人、拾穂書屋主人。
平泉澄の指導を受け、崎門学派の内田周平・岡直養に師事。日本学協会・藝林会・神道史学会・神道宗教学会に所属。
経歴
[編集]1921年(大正10年)、近藤保二郎(東京高等女学校教頭、松平慶民子爵家の家庭教師)の長男として、静岡県に生まれる。
1940年(昭和15年)3月、旧制麻布中学校卒業。同年4月、大東文化学院本科入学。1942年(昭和17年)10月、大東文化学院本科卒業、大東文化学院高等科入学。内田周平に入門。山崎闇斎の学問の継承を、生涯の業と決意する。1943年(昭和18年)12月、入営のため一時休学するが、1946年(昭和21年)に卒業。
1947年(昭和22年)、麻布学園教諭。1971年(昭和46年)、学校騒動の悪化により退職。1972年(昭和47年)、開成学園漢文講師。1987年(昭和62年)、退職。
1974年(昭和49年)、金沢工業大学教授。1983年(昭和58年)、金沢工業大学明倫館教授。2012年(平成24年)、退官。
1985年(昭和61年)4月から1995年(平成7年)3月まで國學院大學兼任講師(1989年(平成元年)より大学院)。
2017年(平成29年)、死去。
著書
[編集]単著
[編集]- 『近世日本国民史に学ぶ』(蘇峰会 1969年)
- 『浅見絅斎の研究』(神道史学会叢書7 神道史学会 1970年6月、増訂1990年6月)
- 『解説・宋名臣言行録』(内外ニュース 1972年11月)
- 『若林強斎の研究』(神道史学会叢書10 神道史学会 1979年3月)
- 『古書先賢』(私家版 1982年6月)
- 『山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書13 神道史学会 1986年7月)
- 『靖献遺言講義』(国書刊行会 1987年9月)
- 『講学五十年』(近藤啓吾先生古稀記念出版会 1990年6月)
- 『儒葬と神葬』(国書刊行会 1990年8月)
- 『続・山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書15 神道史学会 1991年2月)
- 『神葬祭への道』(神社本庁研修ブックレット5 神社本庁研修所 1993年4月)
- 『続々・山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書16 神道史学会 1995年4月)
- 『続・若林強斎の研究』(臨川書店 1997年5月)
- 『紹宇存稿・垂加者の思ひ』(国書刊行会 2000年6月)
- 『小野鶴山の研究』(神道史学会叢書19 神道史学会 2002年4月)
- 『紹宇歌稿』(私家版 2002年4月)
- 『四礼の研究・冠婚葬祭儀礼の沿革と意義』(臨川書店 2003年5月)
- 『「春秋胡氏伝」を読む』(私家版 2003年6月)
- 『紹宇文稿』(私家版 2005年5月)
- 『崎門三先生の学問・垂加神道のこころ』(皇學館大學出版部 2006年5月)
- 『吉田松陰と靖獻遺言』(錦正社 2008年4月)
- 『續紹宇文稿』(私家版 2010年5月)
- 『近藤重蔵とその時代』(私家版 2010年10月)
- 『若林強斎先生』(私家版 2010年5月)
- 『遺芳千載』(私家版 2013年10月)
- 『續々紹宇文稿』(私家版 2012年4月)
- 『三續紹宇文稿』(私家版 2013年1月)
- 『四續紹宇文稿』(私家版 2013年7月)
編著
[編集]- 吉田松陰 『講孟箚記・全訳註』講談社学術文庫(上・下) 1979年11月-1980年10月
- 『垂加神道』(上・下)、神道大系編纂会 1978年12月-1984年3月
- 『随筆百花苑・在臆話記』(上・下)、中央公論社 1980年7月-9月
- 『浅見絅齋集』 国書刊行会 1989年7月
論文
[編集]- 解説『乃木大将と日本人』(スタンレー=ウォシュバン原著・目黒真澄訳、講談社学術文庫 講談社 1980年1月)
- 「山崎闇斎の研究に志す学徒に贈る辞」(神道史研究 2000年4月)