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近藤啓吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
近藤 啓吾
人物情報
別名 字:子発
号:紹宇、靖献書屋主人、拾穂書屋主人
生誕 (1921-12-28) 1921年12月28日
日本の旗 日本静岡県
死没 (2017-12-25) 2017年12月25日(95歳没)
日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
出身校 大東文化学院
両親 父:近藤保二郎
学問
時代 昭和平成
学派 崎門学派
研究分野 崎門学
研究機関 金沢工業大学
國學院大學
影響を受けた人物 平泉澄
内田周平
岡直養
学会 日本学協会
藝林会
神道史学会
神道宗教学会
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近藤 啓吾(こんどう けいご、1921年大正10年)12月28日 - 2017年平成29年)12月25日)は、日本崎門学者金沢工業大学教授子発紹宇靖献書屋主人拾穂書屋主人

平泉澄の指導を受け、崎門学派の内田周平岡直養に師事。日本学協会藝林会神道史学会神道宗教学会に所属。

経歴

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1921年(大正10年)、近藤保二郎東京高等女学校教頭、松平慶民子爵家の家庭教師)の長男として、静岡県に生まれる。

1940年(昭和15年)3月、旧制麻布中学校卒業。同年4月、大東文化学院本科入学。1942年(昭和17年)10月、大東文化学院本科卒業、大東文化学院高等科入学。内田周平に入門。山崎闇斎の学問の継承を、生涯の業と決意する。1943年(昭和18年)12月、入営のため一時休学するが、1946年(昭和21年)に卒業。

1947年(昭和22年)、麻布学園教諭。1971年(昭和46年)、学校騒動の悪化により退職。1972年(昭和47年)、開成学園漢文講師。1987年(昭和62年)、退職。

1974年(昭和49年)、金沢工業大学教授。1983年(昭和58年)、金沢工業大学明倫館教授。2012年(平成24年)、退官。

1985年(昭和61年)4月から1995年(平成7年)3月まで國學院大學兼任講師(1989年(平成元年)より大学院)。

2017年(平成29年)、死去。

著書

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単著

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  • 近世日本国民史に学ぶ』(蘇峰会 1969年)
  • 浅見絅斎の研究』(神道史学会叢書7 神道史学会 1970年6月、増訂1990年6月)
  • 『解説・宋名臣言行録』(内外ニュース 1972年11月)
  • 若林強斎の研究』(神道史学会叢書10 神道史学会 1979年3月)
  • 『古書先賢』(私家版 1982年6月)
  • 『山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書13 神道史学会 1986年7月)
  • 靖献遺言講義』(国書刊行会 1987年9月)
  • 『講学五十年』(近藤啓吾先生古稀記念出版会 1990年6月)
  • 『儒葬と神葬』(国書刊行会 1990年8月)
  • 『続・山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書15 神道史学会 1991年2月)
  • 『神葬祭への道』(神社本庁研修ブックレット5 神社本庁研修所 1993年4月)
  • 『続々・山崎闇斎の研究』(神道史学会叢書16 神道史学会 1995年4月)
  • 『続・若林強斎の研究』(臨川書店 1997年5月)
  • 『紹宇存稿・垂加者の思ひ』(国書刊行会 2000年6月)
  • 小野鶴山の研究』(神道史学会叢書19 神道史学会 2002年4月)
  • 『紹宇歌稿』(私家版 2002年4月)
  • 『四礼の研究・冠婚葬祭儀礼の沿革と意義』(臨川書店 2003年5月)
  • 『「春秋胡氏伝」を読む』(私家版 2003年6月)
  • 『紹宇文稿』(私家版 2005年5月)
  • 『崎門三先生の学問・垂加神道のこころ』(皇學館大學出版部 2006年5月)
  • 吉田松陰と靖獻遺言』(錦正社 2008年4月)
  • 『續紹宇文稿』(私家版 2010年5月)
  • 『近藤重蔵とその時代』(私家版 2010年10月)
  • 『若林強斎先生』(私家版 2010年5月)
  • 『遺芳千載』(私家版 2013年10月)
  • 『續々紹宇文稿』(私家版 2012年4月)
  • 『三續紹宇文稿』(私家版 2013年1月)
  • 『四續紹宇文稿』(私家版 2013年7月)

編著

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論文

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  • 解説『乃木大将と日本人』(スタンレー=ウォシュバン原著・目黒真澄訳、講談社学術文庫 講談社 1980年1月)
  • 「山崎闇斎の研究に志す学徒に贈る辞」(神道史研究 2000年4月)