近鉄百貨店和歌山店
近鉄百貨店和歌山店 | |
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当店が入居する和歌山ターミナルビル | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒640-8342 和歌山県和歌山市友田町5丁目18番地 |
座標 | 北緯34度13分58.4秒 東経135度11分25.5秒 / 北緯34.232889度 東経135.190417度座標: 北緯34度13分58.4秒 東経135度11分25.5秒 / 北緯34.232889度 東経135.190417度 |
開業日 | 1987年4月24日(現店舗) |
建物名称 | 和歌山ターミナルビル |
施設所有者 | 和歌山ターミナルビル株式会社 |
施設管理者 | 株式会社近鉄百貨店 |
商業施設面積 | 32,400 m² |
営業時間 | 10:00〜19:00(元日休業) |
前身 | 和歌山近鉄ストア→和歌山近鉄百貨店 |
最寄駅 | JR・和歌山電鐵和歌山駅 |
最寄IC | 阪和自動車道和歌山IC |
外部リンク | 近鉄百貨店和歌山店 |
近鉄百貨店和歌山店(きんてつひゃっかてんわかやまてん)は和歌山県和歌山市友田町5-18にある近鉄百貨店の店舗。
本項では、当店を株式会社和歌山近鉄百貨店(わかやまきんてつひゃっかてん)が運営していた時代についても述べる。同社は近鉄グループの一員で近畿日本鉄道株式会社(当時)の完全子会社であったが、2009年に兄弟会社の株式会社近鉄百貨店に吸収合併された。
概要
[編集]和歌山県で唯一の百貨店であり、地域産品を発信する「紀州路」の展開など、地域密着型の店舗となっている。
沿革
[編集]1956年(昭和31年)8月、国鉄東和歌山駅(現在の和歌山駅)を中心とした東和歌山地区の開発を目指し、地元有志が東和歌山土地開発を設立した。翌年に東ビルに改称したところ、1959年(昭和34年)に近畿日本鉄道が出資し、1960年(昭和35年)1月に和歌山近鉄ビル株式会社と改称し、不動産賃貸や物品販売を主目的とする企業になった。同年4月に和歌山近鉄ストア(4830m2)が開業。1963年(昭和38年)には和歌山近鉄百貨店として百貨店に業態転換し、1966年(昭和41年)6月には4階を増築して6184m2に営業面積を増床し、1968年には隣の和歌山ステーションビルに食堂を開設。1974年には店内の大改装を行い、人口40万人の都市に百貨店4店、大型専門店5店、地元スーパー2店の厳しい競争の中で生き残りを目指した[1]。
新店舗への移転
[編集]開店当時は現在より西側の北大通に面した地点で営業していた。約7,000m2と比較的小型店であったため、大きな買い物には大阪まで出かける客も多いといわれていた。このため、1987年(昭和62年)4月にはJR和歌山駅前に完成した和歌山ターミナルビルへ新店舗をオープンしている。駅直結である上に500台対応の駐車場も備え、規模も旧店舗から約2・5倍の17,000m2に拡大した。「感性素材館」をメインテーマに客のニーズより買いたさに訴えた店舗として、阿倍野本店との協業も図りつつ、新装開店にあたっては全て自前のスタッフに任せて問題点もすぐ洗い出せるようにした[2]。また、繁華街「ぶらくり丁」にあった地場百貨店の丸正が仮店舗で営業していたこともあり、年間の売上は旧店舗の83億円から目標の145億円を超える170億円(初年度)に急成長して地域一番店になった。
さらに2000年(平成12年)春には年間売上高240億円から290億円への成長を目指して、和歌山駅の引き込み線跡地に増築を行い、売場面積が移転当初に比べて15,000m2広い32,400m2となった。立地・規模・設備で他の百貨店を圧倒し、郊外型ショッピングモールに対抗した。
ライバル店の凋落
[編集]和歌山市内には当店を入れて百貨店が4つあったほか、マイカルの運営するビブレも営業していた。
特に地場百貨店の丸正は地域一番店であったため、当店の新築移転に危機感を持って対抗策を取った。新築工事のため1988年(昭和63年)4月14日に和歌山市西汀丁に建設した仮店舗での営業に移行し、リムジンによる常連客の送迎を行って顧客をつなぎとめた。1990年(平成2年)10月6日に新本館、1991年(平成3年)10月には北別館を完成させている。同店は売上高を1997年(平成9年)8月期には新館の開業効果もあって約152.67億円まで回復させた。
しかし、当店の再度の増床やバブル崩壊後の消費低迷によって売上が低迷したため、これら投資は重荷となり、2000年(平成12年)6月からは信用不安がうわさされるようになった。別館にあった良品計画(無印良品)をはじめとするテナントの撤退やそれを補う商品補充が困難になったことを理由に、上層階を閉鎖して現金のみでの販売を行うなど危機的な状況に陥り[3]、2001年(平成13年)2月26日に同社は自己破産を行って閉店している[4]。
すでに大丸和歌山店は1998年(平成10年)に撤退していたが、丸正閉店の2か月後にビブレも閉店し、ぶらくり丁からは大型店舗が姿を消した。また、当店に加えて郊外にもイオンモール和歌山など大型商業施設が開業するなどの影響で、2014年(平成26年)には南海和歌山市駅ビルに入居していた高島屋和歌山店も閉店に追い込まれ、当店のみが百貨店として生き残った。
これ以降は和歌山市内、そして和歌山県内でも唯一の百貨店であり、隣接する和歌山MIOとともに市内中心部では数少ない大規模商業施設である。
県内唯一の百貨店として
[編集]今後は百貨店以外の商業施設との競争があり、差別化が必要となる。2016年(平成28年)には「百貨店らしさ」を追求する改装を行った。地階食料品売場では地元・和歌山の食材や輸入食材の品ぞろえ強化などといったゾーニングの見直し、「ゴディバ」の拡大を実施している。また、化粧品売場(1F)・婦人服売場(2F・3F)・生活雑貨売場(5F)においても新規ブランドを多数導入した[5]。 また、百貨店業界全体で衣料品の売上が低下し続けていることもあり、今後、2025年2月期までに衣料品売場を3割減し、ほかの売場や自社で運営する専門店を配置することで全館の回遊性を上げる計画もある[6]。
沿革
[編集]種類 | 株式会社[7] |
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本社所在地 |
640-8546[7] 和歌山県和歌山市友田町5丁目46番地[7] |
設立 | 1956年(昭和31年)8月28日[7] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店業 |
代表者 | 取締役社長 岩崎雅明 |
資本金 | 1億円 |
発行済株式総数 | 97万5,000株 |
売上高 | 306億4,800万円(2008年2月期) |
営業利益 | 2億5,200万円(2008年2月期) |
純利益 | 7,100万円(2008年2月期) |
純資産 | 6億8,200万円 |
総資産 | 134億400万円 |
従業員数 |
正社員281人、非正社員191人 (2007年4月1日時点) |
決算期 | 毎年2月末日 |
主要株主 | 近畿日本鉄道株式会社 100% |
外部リンク | http://www.w-kintetsu.co.jp/ |
特記事項:2009年3月1日をもって株式会社近鉄百貨店に吸収合併されて「近鉄百貨店和歌山店」となった。 |
- 1956年(昭和31年)8月28日 - 東和歌山土地開発株式会社を設立[7]。
- 1957年(昭和32年)7月 - 東ビル株式会社に商号変更。
- 1960年(昭和35年)
- 1月 - 和歌山近鉄ビル株式会社に商号変更。
- 4月 - 近鉄ストアとして営業開始。
- 1963年(昭和38年)4月 - 株式会社和歌山近鉄百貨店に商号変更。
- 1987年(昭和62年)
- 4月24日 - JR和歌山駅前に竣工した和歌山ターミナルビルに現店舗を開店。旧店舗を閉鎖。
- 10月 - 旧店舗ビルを改装し、近鉄会館を開設。
- 2000年(平成12年)春 - 増床。
- 2009年(平成21年)3月1日 - 株式会社和歌山近鉄百貨店を株式会社近鉄百貨店へ吸収合併(簡易合併方式)。合併比率は1(近鉄百貨店):2.7(和歌山近鉄百貨店):138.7[8]である。
- 2011年(平成23年)9月30日 - 耐震性の問題及び老朽化により、近鉄会館を閉鎖。解体後、跡地はフジ住宅が高層マンション「シャルマンフジ和歌山駅前グランピーク」を建設した。[9] [10]
- 2014年(平成26年)
- 2016年(平成28年)
フロアガイド
[編集]階 | フロア概要 |
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5階 | 宝飾・時計と生活雑貨、催事場、ギフトサロン・商品券、友の会 |
4階 | 紳士とこども、教養用品 |
3階 | 婦人服(キャリア、ミセス)と呉服 |
2階 | 婦人服(ヤング)と婦人くつ、ハンドバッグ |
1階 | 特選ブティックと婦人服飾雑貨、化粧品 |
地階 | 食品 - 「新鮮市場」 「紀州路」(和歌山土産) イートインなど |
サテライト店舗
[編集]和歌山県内の贈答品需要を補完するため、岩出市にギフトショップを運営している。
店名 | 所在地 | 営業時間 | 定休日 |
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近鉄百貨店 ショップ岩出 | 岩出市清水504-1 | 10:00 - 18:00 | 水曜日(7月、12月以外) |
現在は以上の1店舗のみであるが、「和歌山近鉄百貨店」から「近鉄百貨店和歌山店」に移行する直前の2009年2月ごろには、県内全域にわたって4店舗のギフトショップが運営されていた[11]。
店名 | 所在地 | 現況 |
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和歌山近鉄 岩出店 | 岩出市清水504-1[注 1] | 「ショップ岩出」として2021年現在も営業 |
和歌山近鉄百貨店 湯浅ギフトショップ | 有田郡湯浅町湯浅2332-1 | 2015年(平成27年)2月28日閉店 セブンイレブン有田湯浅町店 駐車場 |
和歌山近鉄 田辺店「Ruban」 | 田辺市あけぼのつぶり坂 山久ビル1階 | 能開センター田辺校 |
和歌山近鉄百貨店 新宮ギフトショップ | 新宮市緑ヶ丘3丁目3-30 緑ヶ丘ビル1階 | 不明 |
贈答品を送る手段の多様化[注 2]、あるいは贈答品需要自体が大きく減っているため、当店に限らず、小型の百貨店ギフトショップの閉店が相次いでいる。近畿地方では特にギフトショップが減少しており、百貨店そのものより少なくなった[注 3]。2021年(令和3年)8月10日に髙島屋京都店の「ローズサロン彦根」(滋賀県彦根市)が廃止されたため、ショップ岩出のほかは三越伊勢丹の「三越大阪ギフトサロン」(ノースゲートビルディング内)程度となっている。なお、常設店に限らなければ、髙島屋では和歌山店が撤退してから、贈答品シーズンになると、大阪店[注 4]が「和歌山特設会場」を設けている[注 5]。
近鉄流通グループ全体では1980年代後半にサテライト店舗を増設し、阿倍野店(奈良県王寺町ほか)や四日市店(鈴鹿市ほか)管轄のギフトショップがあった。特に京都近鉄百貨店のギフトショップは京都府各地に加え、同店の隣の滋賀県にも多数展開していた。詳細は京都店ギフトショップの項目を参考のこと。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ リンク先では2006年の市町村合併以前の旧住所となっている
- ^ 百貨店のインターネット販売から贈答品を送る者もいるほか、スーパーマーケットなど百貨店以外の店舗から贈答品を送る者も多い。また、百貨店のギフトをスーパーなどが取り扱っている場合もある。たとえば、近鉄流通グループの近商ストアでは近鉄百貨店のギフトを扱っている。
- ^ 地方では相次ぐ百貨店の閉店に対応するため、新規開業することもある。例えば、和歌山県と紀伊水道を隔てて隣県の徳島県では2020年8月末のそごう徳島店の閉店した跡地の一部に高松三越が「三越徳島」を営業している。「三越徳島」の場合は百貨店独自の催事なども行い、ギフトショップよりは大きめの店舗となっている。
- ^ 大阪タカシマヤ。本店。
- ^ 旧店舗のあった和歌山市駅と道路を挟んで向かいにあるファーストビルの2階
出典
[編集]- ^ (40年のあゆみ 1977, pp. 170)
- ^ 流通研究グループ編、「近鉄百貨店グループ夢革命」、オーエス出版、1989年3月17日
- ^ 週刊ダイヤモンド編集部. “BUSINESS INSIDE 秒読み ついに商品券取扱い中止となった和歌山の老舗百貨店経営危機の現場”. 週刊ダイヤモンド 2001年3月3日号 (ダイヤモンド社) (2001-2).
- ^ 帝国データバンク大型倒産速報 株式会社丸正 (Report). 帝国データバンク. 26 February 2001.
- ^ a b 『近鉄百貨店和歌山店 春の改装について』(PDF)(プレスリリース)近鉄百貨店、2016年3月4日 。2021年11月5日閲覧。
- ^ 近鉄百貨店、衣料品売り場3割減 あべのハルカス改装 - 日本経済新聞(2021年9月16日)
- ^ a b c d e f 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 112
- ^ 株式会社近畿日本鉄道「連結子会社間の合併および連結子会社の解散ならびに連結子会社(株式会社近鉄百貨店)の平成21年2月期業績予想の修正に関するお知らせ」(2008年9月25日)(ウェブ魚拓)
- ^ 52年の歴史に幕 「近鉄会館」9月で閉鎖 - わかやま新報 2011年07月01日
- ^ 近鉄会館跡地を取得/15階建て規模のマンションを建設/フジ住宅 - 建設ニュース 2014年03月17日
- ^ (日本語) 和歌山近鉄百貨店ホームページ, 和歌山近鉄百貨店, オリジナルの2009年2月10日時点におけるアーカイブ。 2021年11月12日閲覧。
- 株式会社近鉄百貨店『40年のあゆみ』株式会社近鉄百貨店、1977年12月20日。
関連項目
[編集]- 近鉄グループホールディングス
- 近鉄百貨店
- 中部近鉄百貨店 - 中部地方の四日市店と名古屋店(近鉄パッセ)に加え、草津店(元・草津近鉄百貨店)を経営した。和歌山近鉄百貨店と同時に近鉄百貨店に合併されている。
- 近鉄百貨店京都店 - 別会社「京都近鉄百貨店」時代にJR京都駅ビルへ進出を目指したが、JR京都伊勢丹に敗北した。