迫山1号墳
迫山1号墳 | |
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石室開口部 | |
別名 | 迫山第一号古墳 |
所属 | 迫山古墳群 |
所在地 | 広島県福山市神辺町湯野 |
位置 | 北緯34度33分54.20秒 東経133度23分26.50秒 / 北緯34.5650556度 東経133.3906944度座標: 北緯34度33分54.20秒 東経133度23分26.50秒 / 北緯34.5650556度 東経133.3906944度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径21.5m 高さ5m |
埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
出土品 | 環頭大刀ほか副葬品多数・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀末 |
史跡 | 広島県指定史跡「迫山第一号古墳」 |
有形文化財 | 出土品(広島県指定文化財) |
地図 |
迫山1号墳(さこやまいちごうふん)は、広島県福山市神辺町湯野にある古墳。形状は円墳。迫山古墳群を構成する古墳の1つ。広島県指定史跡に指定され(指定名称は「迫山第一号古墳」)、出土品は広島県指定重要文化財に指定されている。
概要
[編集]広島県東部、神辺平野北縁の丘陵において、平野を望む丘陵尾根先端の山腹に築造された古墳である。一帯に分布する迫山古墳群12基のうちでは最大規模になる[1]。これまでに1983・1986年(昭和58・61年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳丘は版築によって構築される[2]。墳形は円形で、直径21.5メートル・高さ5メートルを測る[2]。墳丘の北面・西面では浅い周溝が認められるほか、石室前面の両側の墳裾には列石が据えられる[2]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室であり、南東方向に開口する。石室全長11.6メートルを測る大型石室であり、石室内からは環頭大刀・銀象嵌大刀などの多数の副葬品が検出されている[2]。
この迫山1号墳は、古墳時代後期の6世紀末葉頃の築造と推定される[3]。特に環頭大刀の出土は全国でも限られており、畿内ヤマト王権との密接な関係のもと神辺平野東部地域では最有力となる古墳として注目される[3][1]。また眼下の大宮遺跡では大型建物群が検出されており、本古墳の被葬者の拠点集落になると推測される[3]。
古墳域は1986年(昭和61年)に広島県指定史跡に指定され[2]、出土品は1987年(昭和62年)に広島県指定重要文化財に指定されている。
遺跡歴
[編集]- 平安時代末頃、石室内の乱掘[1]。
- 1983年(昭和58年)、発掘調査。副葬品の出土(神辺町教育委員会、1984年に概報刊行)[1]。
- 1986年(昭和61年)、発掘調査(神辺町教育委員会、1987年に概報刊行)[1]。
- 1986年(昭和61年)11月25日、広島県指定史跡に指定[2]。
- 1987年(昭和62年)3月30日、出土品が広島県指定重要文化財に指定[4]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:11.6メートル
- 玄室:長さ6.2メートル、高さ2.8メートル、幅2.5メートル
- 羨道:入り口幅2メートル
石室は二子塚古墳(福山市駅家町中島)にも匹敵する巨大石室であり[1]、玄室内空間容積としては44.8立方メートルで広島県内第2位、玄室床面積としては16.0平方メートルで広島県内第3位の規模になる[2]。
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俯瞰図
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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羨道(開口部方向)
出土品
[編集]- 武器
- 単鳳環頭大刀 1
- 銀象嵌大刀 1
- 鉄刀 1
- 鉄鏃 20
- 馬具
- 鉸具 2
- 装身具
- 耳環 8
- 切子玉 2
- 勾玉 1
- 管玉 12
- 棗玉 1
- ガラス製小玉 7
- 土製練玉 210
- 土器
関連施設
[編集]- 福山市神辺歴史民俗資料館(福山市神辺町川北) - 迫山1号墳の出土品等を保管・展示。
文化財
[編集]広島県指定文化財
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(福山市教育委員会、2003年設置)
- 小都隆「迫山1号墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『神辺町埋蔵文化財調査報告3(迫山第1号古墳発掘調査概報 御領遺跡発掘調査概報)』神辺町教育委員会、1984年。
- 『神辺町埋蔵文化財調査報告7(迫山第1号古墳発掘調査概報 御領遺跡発掘調査概報)』神辺町教育委員会、1987年。
外部リンク
[編集]- 迫山第一号古墳、迫山第一号古墳出土品 - 広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」
- 迫山第1号古墳、迫山第1号古墳出土品 - 福山市ホームページ