連邦結成の父祖
連邦結成の父祖(れんぽうけっせいのふそ、英語: Fathers of Confederation)は、カナダ連邦の結成に先んじて行われたシャーロットタウン会議(参加者23名)、ケベック会議(参加者33名)、イングランドで開催されたロンドン会議(カナダ側参加者16名)のいずれか一つ以上に参加した、36名の人々の総称。下に掲げるリストは、シャーロットタウン会議、ケベック会議、ロンドン会議の参加者の一覧であり、各会議の出欠状況を示している[1][2]。
ヴィクトリア女王は、「連邦結成の母 (Mother of Confederation)」と称された[3]。連邦の結成における女王の役割は、ビクトリア女王誕生日が祝日とされていように、カナダでは広く認知されている。
上記のほか、さらに4人の人物が「連邦結成の父祖」に加えられてきた。シャーロットタウン会議の記録係であったヒューイット・バーナードは、一部の論者たちによって連邦結成の父祖の一人と見なされている[4]。1867年より後に、連邦に参加した3地域それぞれの指導者たちも、連邦結成の父祖として言及されることがある[1]。ルイ・リエルが設立した臨時政府は、最終的にはマニトバ州として1870年に連邦に加わった[5]。また、アモール・デ・コスモスは、ブリティッシュコロンビアに民主主義をもたらし、また、1871年にこの地域が連邦に参加する上で、重要な役割を果たした[6]。ニューファンドランド島がカナダ連邦に加わったのは1949年であるが、その指導者ジョーイ・スモールウッドは、その当時「ただ一人の生きている「連邦結成の父祖」 (only living Father of Confederation)」と称された[7]。
3会議の参加者たち
[編集]参加者[2] | 肖像 | 地域(現行の州) | シャーロットタウン | ケベック | ロンドン |
---|---|---|---|---|---|
サー・アダムス・ジョージ・アーチボルド | ノバスコシア | ||||
ジョージ・ブラウン | オンタリオ | ||||
サー・アレキサンダー・キャンベル | オンタリオ | ||||
サー・フレデリック・カーター | ニューファンドランド・ラブラドール | ||||
サー・ジョルジュ・エティエン=カルティエ | ケベック | ||||
エドワード・バーロン・チャンドラー | ニューブランズウィック | ||||
ジャン=シャルル・シャペ | ケベック | ||||
ジェームズ・コックバーン | オンタリオ | ||||
ジョージ・コールズ | プリンスエドワードアイランド | ||||
ロバート・B・ディッキー | ノバスコシア | ||||
チャールズ・フィッシャー | ニューブランズウィック | ||||
サー・アレクサンダー・ティロック・ガルト | ケベック | ||||
ジョン・ハミルトン・グレイ | プリンスエドワードアイランド | ||||
ジョン・ハミルトン・グレイ | ニューブランズウィック | ||||
トマス・ヒース・ハヴィランド | プリンスエドワードアイランド | ||||
ウィリアム・アレキサンダー・ヘンリー | ノバスコシア | ||||
サー・ウィリアム・ピアース・ハウランド | オンタリオ | ||||
ジョン・マーサー・ジョンソン | ニューブランズウィック | ||||
サー・エクトル=ルイ・ランゲヴァン | ケベック | ||||
アンドリュー・アーチボルド・マクドナルド | プリンスエドワードアイランド | ||||
サー・ジョン・A・マクドナルド | オンタリオ | ||||
ジョナサン・マッカリー | ノバスコシア | ||||
ウィリアム・マクドゥーガル | オンタリオ | ||||
トマス・ダーシー・マギー | ケベック | ||||
ピーター・ミッチェル | ニューブランズウィック | ||||
サー・オリヴァー・モワット | オンタリオ | ||||
エドワード・パーマー | プリンスエドワードアイランド | ||||
ウィリアム・ヘンリー・ポープ | プリンスエドワードアイランド | ||||
ジョン・ウィリアム・リッチー | ノバスコシア | ||||
サー・アンンブローズ・シア | ニューファンドランド・ラブラドール | ||||
ウィリアム・H・スティーヴス | ニューブランズウィック | ||||
サー・エティエン=パシャル・タシェ | ケベック | ||||
サー・サミュエル・レナード・ティリー | ニューブランズウィック | ||||
サー・チャールズ・タッパー | ノバスコシア | ||||
エドワード・ウェラン | プリンスエドワードアイランド | ||||
ロバート・ダンカン・ウィルモット | ニューブランズウィック |
歴史的写真
[編集]-
シャーロットタウン会議のためにプリンスエドワード島のガバメント・ハウスの正面階段に集まった、カナダ各地の自治政府の代表者たち。ジョージ・P・ロバーツ (George P. Roberts) により、1864年9月11日に撮影。
脚注
[編集]- ^ a b “Fathers of Confederation”. CanadianHistory (2008年). 2010年6月21日閲覧。
- ^ a b Bélanger, Claude (2001年). “Studies on the Canadian Constitution and Canadian Federalism”. Department of History, Marianopolis College. 2010年6月21日閲覧。
- ^ Bouard, Arthur; Toffoli, Garry (1991). Royal Observations. Toronto: Dundurn Press Ltd.. p. 10. ISBN 1-55002-076-5 2010年9月14日閲覧. "The Queen's role in promoting Canadian unity truly made her the "Mother of Confederation" and at her death Victoria Day, that uniquely Canadian holiday, was created as a memorial day..."
- ^ Harrison, Robert A (2003). The conventional man. Canadian Legal History by University of Toronto Press. p. 627. ISBN 0-8020-8842-2 2011年9月2日閲覧。
- ^ The Heritage Centre. “Louis Riel The Provisional Government”. 2007年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月23日閲覧。
- ^ Frances, Stanford (2002). Canada's Confederation. S&S Learning Materials. p. 44. ISBN 1-55035-708-5 2011年9月2日閲覧。
- ^ Argyle, Ray (2012). Joey Smallwood, Schemer and Dreamer. Dundurn Press. ISBN 9781459703698
関連項目
[編集]- アメリカ合衆国建国の父
- en:List of Prime Ministers of Canada - カナダ首相
- en:List of national founders
- en:Persons of National Historic Significance
- en:Anti-Confederation Party
関連文献
[編集]- Careless, J.M.C. "George Brown and Confederation," Manitoba Historical Society Transactions, Series 3, Number 26, 1969-70 online
- Coucill, Irma (2005). Canada's Prime Ministers, Governors General and Fathers of Confederation. Pembroke Publishers. ISBN 1-55138-185-0
外部リンク
[編集]- Fathers of Confederation - Library and Archives Canada