進雄神社 (高崎市)
表示
進雄神社 | |
---|---|
鳥居と拝殿 | |
所在地 | 群馬県高崎市柴崎町801 |
位置 | 北緯36度19分7.2秒 東経139度2分57.1秒 / 北緯36.318667度 東経139.049194度座標: 北緯36度19分7.2秒 東経139度2分57.1秒 / 北緯36.318667度 東経139.049194度 |
主祭神 | 速須佐之男命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 貞観11年(869年) |
地図 |
進雄神社(すさのおじんじゃ)は、群馬県高崎市柴崎町の神社。旧社格は郷社。
歴史
[編集]清和天皇の御代、貞観11年(869年)に尾張国海部郡津島(現・愛知県津島市)の津島牛頭天王社(現・津島神社)から分霊を勧請したと伝わる[1][2][3][4]。
1057年(天喜5年)、前九年の役で出征する源頼義は、当社で戦勝を祈願し、その願いは無事達成されたという。このために戦国時代では、武田氏・上杉氏・後北条氏ら戦国大名が、当社で戦勝祈願したり社領の安堵をしている[1][3][4]。
江戸時代も、江戸幕府第3代将軍徳川家光より、30石の社領を得ている[5][3][4]。
明治初期、これまで神仏習合が色濃い牛頭天王を祭神としていたが、神仏分離政策により、速須佐之男命に変更、名称も「天王宮」から「進雄神社」に変更し、現在に至っている[1][2]。
1906年(明治39年)12月28日、神饌幣帛料供進社に指定[3]。
1907年(明治40年)10月境内末社7社などを合祀、1911年(明治44年)8月大字下大類の村社・熊野神社などを合祀、同年9月大字中大類の村社・降照神社と同社境内社を合祀[3]。
祭神
[編集]- ほか24柱[2]
文化財
[編集]- 高井家文書(高崎市指定重要文化財 昭和46年2月18日指定)[6]
交通アクセス
[編集]- 倉賀野駅より徒歩33分。
脚注
[編集]- ^ a b c 御由緒進雄神社
- ^ a b c d 神社本庁調査部 編『神社名鑑』神社本庁神社名鑑刊行会、1963年4月、156頁。doi:10.11501/2997363。(要登録)
- ^ a b c d e 群馬県群馬郡教育会『群馬県群馬郡誌』群馬県群馬郡教育会、1925年10月20日、595-596頁。doi:10.11501/1020918。
- ^ a b c 高崎市史編さん委員会『高崎市史』 3巻、高崎市、1968年3月31日、544頁。doi:10.11501/9640213。(要登録)
- ^ 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年、64-65p
- ^ 高井家文書高崎市
参考文献
[編集]- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年