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遂寧市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中華人民共和国 四川省 遂寧市
陳子昂読書台
陳子昂読書台
陳子昂読書台
四川省中の遂寧市の位置
四川省中の遂寧市の位置
四川省中の遂寧市の位置
簡体字 遂宁
繁体字 遂寧
拼音 Sùiníng
カタカナ転写 スイニン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
四川
行政級別 地級市
面積
総面積 5,326 km²
市区 21.9 km²
人口
総人口(2005) 377 万人
経済
GDP(2008) 372.67億元
電話番号 0825
郵便番号 629000
ナンバープレート 川J
行政区画代碼 510900
公式ウェブサイト http://www.scsn.gov.cn/

遂寧市(すいねい-し)は、中華人民共和国四川省に属する地級市

地理

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遂寧市は四川盆地の中部に位置し、涪江の中流にあたる。東経105°03′26″から106°59′49″、北緯30°10′50″から31°10′50″の間に広がる。東西は90.3km、南北は108.9km、面積5,300平方km。四川盆地の重要都市である成都市および重慶市とは等距離にある。

遂寧は古くからの文化の蓄積、人を迷わせる幽玄な山水、発達した農工商業などから、川中(四川省中部)地区の政治、経済、文化の中心であり、紡織や食品工業が盛んで沱牌グループなどの企業が所在し、「東川巨邑」、「川中重鎮」、「小成都」などの異名がある。四川盆地の中部にあり、涪江(ふうこう)の中流部が貫く。東は南充市広安市、西は徳陽市、南は重慶市資陽市、北は綿陽市に接する。

歴史

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遂寧周辺には石器時代より人類が住んでいたとみられ、射洪県仁和鎮の馬鞍山からは紀元前1万年ころの人類の頭蓋骨が出土している。記録では王朝や王朝の時期には梁州に属したとされる。春秋時代初期には四川盆地に巴国、蜀国という国家が成立したが、遂寧付近は蜀の領域であり、による中国統一後は蜀郡となった。後漢末期の220年延康元年)、現在の市街地に徳陽県の県治が設置された。330年咸和5年)、晋末の混乱に乗じ李雄により成漢が立てられ、徳陽郡の郡治がこの地におかれた。

「遂寧」の地名の由来は東晋十六国が並存した時期にさかのぼる。遂寧は十六国の中の成漢に属したが、各国間の争いや後継者争いで成漢は疲弊した。347年嘉寧2年)、東晋の桓温将軍が蜀征伐に着手し成漢を滅ぼし、四川で50年以上続いた混乱に終止符を打った。桓温は凱旋の途中、急にこの地の風や太陽の美しさに打たれ、歌や踊りの声がどこかから聞こえてくることに平和さを感じた。長年戦場にいた桓温に平和を渇望する思いが生まれ、この地に郡を置き、「戦乱の終息と安寧に到達する」ことを願って「遂寧」と命名したとされる。以後、この地には遂寧の名で郡、府、州、県などが置かれ、一帯の中心地として繁栄した。

南北朝から元代まで、市域には石山郡、小渓県、方義県、遂州、遂州総管府、遂州総督府、武信軍節度使などがありその管轄下には35の県があった。遂寧城の管轄地域が最大に達したのはの末期で、遂州に設置された武信軍節度使は遂(遂寧)、昌(栄昌大足永川)、合(合川)、渝(九竜坡江津)、瀘(瀘州)の5州を管轄した。明代以後、遂寧は州から県に降格し、潼川府(現在の三台県)、嘉陵道(現在の南充市)などの管轄下となった。

1935年民国24年)、中華民国により四川省に18行政督察区を設置した際、遂寧には第12行政督察区が置かれ遂寧、安岳、中江、三台、射洪、塩亭、蓬渓、潼南、楽至の9県を管轄した。中華人民共和国成立後は川北行政区遂寧分区が置かれ、1952年に遂寧専区と改められ上記の9県を管轄したが、1958年には遂寧専区が撤廃され、遂寧は隣接する綿陽専区に編入された。

1985年2月、国務院により遂寧県は廃止され省轄市となり、市中区(もとの遂寧県)、蓬渓県、射洪県を管轄することとなった。1997年10月には国務院により、蓬渓県の涪江以西の地域に大英県が新設された。2003年12月には国務院により市中区が分割され、船山区と安居区が設置された。

行政区画

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2市轄区・1県級市・2県を管轄下に置く。

遂寧市の地図

年表

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この節の出典[1][2]

川北行署区遂寧専区

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四川省遂寧専区

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  • 1952年8月13日 - 南充専区南充県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1952年9月1日 - 南充専区南充県・西充県の各一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1952年11月15日 - 三台県の一部が中江県に編入。(9県)
  • 1952年12月24日 - 内江専区資陽県の一部が楽至県に編入。(9県)
  • 1952年12月29日 (9県)
    • 中江県の一部(新中郷)が綿陽専区徳陽県に編入。
    • 綿陽専区徳陽県の一部(東美郷の一部)が中江県に編入。
  • 1953年3月24日 - 中江県の一部が楽至県に編入。(9県)
  • 1953年4月3日 - 三台県・遂寧県の各一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1953年7月6日 - 中江県の一部が綿陽専区羅江県に編入。(9県)
  • 1953年7月8日 - 南充専区南部県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1953年8月8日 - 塩亭県の一部が南充専区西充県に編入。(9県)
  • 1953年11月9日 - 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年2月 - 中江県の一部が三台県に編入。(9県)
  • 1954年6月10日 - 塩亭県の一部が綿陽専区梓潼県に編入。(9県)
  • 1954年9月17日 - 南充専区南充県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1954年10月8日 - 江津専区銅梁県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年10月12日 - 塩亭県の一部が綿陽専区梓潼県に編入。(9県)
  • 1954年10月19日 - 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年11月5日 - 塩亭県の一部が綿陽専区剣閣県に編入。(9県)
  • 1954年11月 (9県)
    • 塩亭県の一部が南充専区南部県に編入。
    • 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。
    • 遂寧県の一部が蓬渓県・潼南県に分割編入。
    • 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。
  • 1955年12月6日 - 射洪県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1955年12月19日 - 綿陽専区剣閣県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1955年12月24日 - 中江県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1955年12月 (9県)
    • 遂寧県の一部が蓬渓県に編入。
    • 蓬渓県の一部が南充専区南充県に編入。
  • 1956年5月6日 - 三台県の一部が射洪県に編入。(9県)
  • 1956年5月16日 - 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。(9県)
  • 1956年10月26日 - 三台県の一部が綿陽専区綿陽県に編入。(9県)
  • 1956年12月27日 (9県)
    • 綿陽専区梓潼県の一部が塩亭県に編入。
    • 三台県の一部が射洪県に編入。
  • 1957年12月30日 (9県)
    • 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。
    • 綿陽専区綿陽県の一部(新民郷の一部)が三台県に編入。
    • 三台県の一部(柳池郷の一部)が綿陽専区綿陽県に編入。
  • 1958年10月18日
    • 遂寧県・蓬渓県・潼南県・中江県・三台県・射洪県・塩亭県が綿陽専区に編入。
    • 安岳県・楽至県が内江専区に編入。

遂寧市

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  • 1985年2月8日 - 綿陽地区遂寧県が地級市の遂寧市に昇格。市中区を設置。(1区2県)
  • 1997年10月31日 - 蓬渓県の一部が分立し、大英県が発足。(1区3県)
  • 2003年12月18日 - 市中区が分割され、船山区安居区が発足。(2区3県)
  • 2019年7月12日 - 射洪県が市制施行し、射洪市となる。(2区1市2県)

教育

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大学

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経済

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石油天然ガスなどを産出する。

交通

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空港

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鉄道

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道路

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  • 高速道路
高速道路
国道
省道
  • 106省道
  • 205省道
  • 206省道
  • 304省道

名所・旧跡・観光スポット

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健康・医療・衛生

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  • 遂寧市中心医院(重慶医科大学附属遂寧市中心医院、川北医学院付属遂寧医院)[4]
  • 遂寧市第三人民医院、遂寧市紅十字医院、安居区人民医院(遂寧市第五人民医院)、安居区第三人民医院、射洪市人民医院、射洪市第二人民医院
  • 蓬渓県人民医院、蓬渓県婦幼保健站、大英県人民医院、大英県第二人民医院、大英県交通医院、大英県衛生防疫站

出身者

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関連項目

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出典

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外部リンク

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