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遊佐 秀頼(ゆさ ひでより)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。能登国守護代。
遊佐秀盛の子として誕生。父・秀盛と共に能登守護・畠山義総に重用され、能登守護代を務めた。義総の死後は子の義続、孫の義綱に仕えた。同族[1]の遊佐続光と共に天文22年(1553年)、畠山家中で権勢を誇っていた温井総貞と権力抗争を繰り広げるも敗れ、翌天文23年(1554年)に大槻一宮合戦で敗北、捕虜となった。