コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

遠藤嘉右衛門 (7代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠藤嘉右衛門
えんどう かえもん
生年月日 1844年10月2日
出生地 日本の旗 日本 島根県
没年月日 (1914-11-29) 1914年11月29日(70歳没)
子女 次男・8代遠藤嘉右衛門
親族 娘婿・高橋隆一(貴族院議員)
娘婿・三好英之(北海道開発庁長官)

在任期間 1911年6月2日 - 1911年9月28日

簸川郡会議員

テンプレートを表示

7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日[1])- 1914年大正3年)11月29日[2])は日本の地主銀行家政治家貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田[3][4]

経歴

[編集]

のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した[1][3][4]

1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ[5]、同年9月28日の任期満了まで一期在任した[2]。その他、簸川銀行頭取などを務めた[2][3][4]

公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った[1]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『簸川郡偉人篤行者伝』前編108-109頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』190頁。
  3. ^ a b c 『大正過去帳』52頁。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録』第4版、え12頁。
  5. ^ 『官報』第8383号、明治44年6月3日。
  6. ^ 『島根県歴史人物事典』103頁。

参考文献

[編集]
  • 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。
  • 簸川郡私立教育会編『簸川郡偉人篤行者伝』簸川郡私立教育会、1919年。