遠藤嘉右衛門 (7代)
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遠藤嘉右衛門 えんどう かえもん | |
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生年月日 | 1844年10月2日 |
出生地 | 日本 島根県 |
没年月日 | 1914年11月29日(70歳没) |
子女 | 次男・8代遠藤嘉右衛門 |
親族 |
娘婿・高橋隆一(貴族院議員) 娘婿・三好英之(北海道開発庁長官) |
在任期間 | 1911年6月2日 - 1911年9月28日 |
簸川郡会議員 | |
7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日[1])- 1914年(大正3年)11月29日[2])は日本の地主、銀行家、政治家。貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田[3][4]。
経歴
[編集]のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した[1][3][4]。
1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ[5]、同年9月28日の任期満了まで一期在任した[2]。その他、簸川銀行頭取などを務めた[2][3][4]。
公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った[1]
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。
- 簸川郡私立教育会編『簸川郡偉人篤行者伝』簸川郡私立教育会、1919年。