邯鄲諸国物語
『邯鄲諸国物語』(かんたんしょこくものがたり)は、国内諸国の伝奇物語を繋げたオムニバスの合巻。天保5年(1834年)、柳亭種彦が書き始め、その没後、門弟の笠亭仙果が、弘化5年(1848年)から書き繋いだ。
経緯
[編集]天保5年、52歳の柳亭種彦は、『偐紫田舎源氏』の11、12、13編を刊行して人気の盛りにあった。(好評だった『正本製』シリーズは、3年前に終わっていた。)この年から彼は、『邯鄲諸国物語』を、『田舎源氏』に並行して世に問い、毎年あるいは隔年に編を重ねた。挿絵は親友の歌川国貞であった。
天保13年(1842年)、種彦は水野忠邦の天保の改革により、『田舎源氏』の出版を禁じられ、そして没し、『諸国物語』は8編で中断した。
- 柳亭種彦の『邯鄲諸国物語』
- 初編/2編:天保5年(1834)、近江の巻/近江の巻 附 出羽の巻
- 3編:天保6年(1835)、大和の巻
- 4編:天保8年(1837)、大和の巻
- 5編:天保9年(1838)、大和巻残編
- 6編:天保11年(1840)、播磨の巻前編
- 7編/8編:天保12年(1841)、播磨の巻中編/播磨の巻下編
弘化5年(1848年)、種彦の門弟だった笠亭仙果が、「故柳亭先生旧案門人仙果補綴」と断り書きして9編を出し、以後続刊した。絵師は変わった。
- 笠亭仙果の『邯鄲諸国物語』
全20編を通じ、版元は芳町(現在の中央区日本橋人形町)の栄久堂山本平吉であった。一編は上下2冊、一冊は半裁した半紙の右左に1ページずつを刷り、2つに折り、10枚重ねて綴じた20ページの、B6に近い中本であった。
内容
[編集]結局は善玉がむくわれる勧善懲悪の筋立てに色模様がからむ「諸国物語」の、国は変わり、ただし、前編の人物の一部は後の編にも登場して繋がる。
種彦は初編の序に、「この絵草紙は井原西鶴の『西鶴諸国はなし』や江島其磧の『其磧諸国物語』を真似て作ったのだが、『種彦諸国物語』とするのも気が引けるから、『邯鄲の夢』の『邯鄲』を使う」と、書いている。のちには、『種彦諸国物語』の題簽の版も出た。
笠亭仙果は、『伊勢の巻』は種彦の『笹色猪口暦手』を、『遠江の巻』は『其磧諸国物語』を、『摂津の巻』は栗杖亭鬼卵の『長柄長者鶯塚』を翻案したと、ことわっている。
出版の状況
[編集]最も新しい出版は、昭和2年(1927年)である。
- 礫川出版 古今小説名著集 7、10、13、15巻、第2期2巻中に分散 (1892)
- 東亜堂書房 日本文芸叢書29巻、30巻(幸田露伴校訂)(1911)
- 国書刊行会 家庭絵本文庫、全5巻(1915)
- 金星堂 日本文藝叢書刊行會 第2期19巻全2冊(1927)