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郁華

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郁 華
人物情報
生誕 1884年????
清の旗 浙江省富陽県
死没 1939年11月23日(1939-11-23)(55歳没)
出身校 早稲田大学
学問
研究分野 法学
研究機関 朝陽大学東呉大学
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郁 華(いく か、チェコ語: YU Hua(ユ フア)、1884年 - 1939年11月23日)は中華民国司法官法学者。江蘇高等法院第二分院刑事庭庭長、東呉大学教授郁風zh:郁風)の父、郁達夫の兄でもある。字は曼陀。

経歴

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1884年、清国浙江省富陽県生まれ。1904年に日本に官費留学し、早稲田大学清国留学生部師範科、法政大学専門部法律科を卒業。1910年に帰国し、挙人となり七品小京官に任じられた。清国滅亡後、1912年法官資格を取得し京師高等審判庁推事、北京政府大理院推事に就任する。

1913年に日本の司法制度を視察するため日本に派遣される。この視察に弟の郁達夫も同行し日本に留学している。1914年に帰国し大理院推事、朝陽大学東呉大学・司法儲才館で刑法教授などを務め、1928年に司法行政事司第三科科長、1929年に沈陽大理院東北分院刑庭庭長兼代理院長、1932年に上海江蘇高等法院第二分院刑事庭庭長に就任し、東呉大学・上海法政大学教授を兼務した。

1939年11月23日、ジェスフィールド76号により登院途上で暗殺された。

没後の顕彰

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1952年中華人民共和国中央人民政府により革命烈士として追彰された。出身地である富陽市に「郁曼陀先生血衣冢」という顕彰碑が設置されている[1]

参考

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脚注

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関連論文

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  • 小川恒男「明治の東京を描いた詩(1)郁曼陀の「東京雑事詩」」『中國中世文學研究』第55号、中國中世文學會、2009年3月、47-56頁、ISSN 05780942NAID 110007331264 

外部リンク

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