郡山智
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郡山 智(こおりやま さとし、1886年(明治19年)2月10日[1] – 1955年(昭和30年)12月21日[2])は、日本の拓務官僚。南満州鉄道理事。
経歴
[編集]宮城県仙台市出身[1]。宮城県立第一中学校、第二高等学校を経て、1911年(明治44年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格[1]。朝鮮総督府試補、同事務官、同書記官、同税関長、賞勲局書記官、拓殖局書記官、拓殖事務局書記官、東洋拓殖株式会社監理官、関東庁事務官、内閣拓殖局書記官、拓務省拓務局長を歴任した[1]。
1934年(昭和9年)から1938年(昭和13年)まで南満州鉄道株式会社理事を務め[1]、退任後は海外移住組合聯合会理事長に就任した[3]。その他、南洋協会理事を務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『宮城県名士宝鑑』宮城県名士宝鑑発刊事務所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。