都南村
となんむら 都南村 | |||||
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廃止日 | 1992年4月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 都南村→盛岡市 | ||||
現在の自治体 | 盛岡市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 岩手県 | ||||
郡 | 紫波郡 | ||||
市町村コード | 03323 | ||||
面積 | 90.46 km2 | ||||
総人口 |
43,063人 (推計人口、1992年4月1日) | ||||
隣接自治体 | 盛岡市、紫波郡:矢巾町、紫波町、岩手郡:雫石町 | ||||
都南村役場 | |||||
所在地 |
〒020(当時) 020-8532(現在) 岩手県紫波郡都南村大字津志田第一四地割37-2 (現在の盛岡市津志田第一四地割37-2) | ||||
座標 | 北緯39度39分16秒 東経141度09分29秒 / 北緯39.65444度 東経141.15814度座標: 北緯39度39分16秒 東経141度09分29秒 / 北緯39.65444度 東経141.15814度 | ||||
ウィキプロジェクト |
都南村(となんむら)は、岩手県の紫波郡にかつて所在していた村である。
歴史
[編集]沿革
[編集]行政
[編集]村長
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 吉田敬一 | 1955年(昭和30年)5月7日 | 1957年(昭和32年)11月22日 | |
2 | 田山徳三郎 | 1957年(昭和32年)11月23日 | 1961年(昭和36年)11月22日 | |
3 | 吉田敬一 | 1961年(昭和36年)11月23日 | 1965年(昭和40年)11月22日 | 再任 |
4 | 藤沢与三郎 | 1965年(昭和40年)11月23日 | 1977年(昭和52年)2月26日 | |
5 | 藤沢弥重治 | 1977年(昭和52年)2月27日 | 1981年(昭和56年)2月26日 | |
6 | 藤村正雄 | 1981年(昭和56年)2月27日 | 1992年(平成4年)3月31日 |
交通
[編集]鉄道路線
[編集]バス
[編集]盛岡市との合併
[編集]当村内には、盛岡市中央卸売市場や盛岡赤十字病院、岩手県立盛岡工業高等学校などをはじめ、「盛岡」の地名を冠した公共施設の立地も多かった。これに象徴されるように、従前から、当村と盛岡市とは一体となった生活圏に属してきており、合併の目的も、両者の間に分散している都市機能を集積するところにあった。地元の商工会議所などの経済界が積極的に合併を支援したことも、円滑な合併に資した。
旧都南村役場は、合併後は市役所の「総合支所」となり、従前の場所に存置。当初は住民生活と関連の深い部門(道路管理など)が残されたものの、これらの機能は現在残されておらず、支所の機能はほぼ窓口機能のみに限定されている(ただし、盛岡市教育委員会事務局は当総合支所内に入居)。
合併後の「新市建設計画」で、盛岡市は旧都南村地区へ重点的な公共投資を実施。土地区画整理事業や下水道整備事業が大きく進展したほか、慢性的な水不足問題を抱えていた固有の問題も、大規模なダムを擁する盛岡市との合併によって解消された[1]。
ただ、旧都南村域に重点的な投資が行われていることに、旧来の盛岡市域の住民からは不満の声が寄せられることがある[2]。
所轄警察署
[編集]合併後も統合されない行政上の区画として、警察署の管轄があった。
旧盛岡市域と旧玉山村域は、盛岡東、盛岡西両署が管轄しているところ、旧都南村域については、かつて紫波郡に属していた時代から合併後も、紫波警察署が管轄していたが、2016年4月1日付けで盛岡東警察署に管轄が移管された。 また都南村は、同じく盛岡市に隣接していた旧滝沢村同様、自動車の登録に際して車庫証明が必要な村であった。
脚注
[編集]- ^ 滋賀県合併問題研究会の報告書(2008年7月18日閲覧)
- ^ 盛岡市役所まちづくり懇談会ウェブサイト(2008年7月17日閲覧)