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鄒 丹(すう たん、生没年不詳[1])は、中国後漢時代末期の人物。
公孫瓚が劉虞を殺害すると、劉虞旧臣の鮮于輔らは復讐のため、名声のある閻柔を烏桓司馬に推戴し、挙兵する。
公孫瓚配下で漁陽太守の官にあった鄒丹は、潞県の北で閻柔らの軍勢と交戦するが、敗北を喫し、斬殺された。
羅貫中の小説『三国志演義』には登場しない。
- ^ 没年は不明だが、『後漢書』献帝紀によると、劉虞の死が初平4年(193年)10月のためそれ以降。また『後漢書』公孫瓚伝では、鄒丹の戦死の後に興平2年(195年)の記述が始まるためその中間、興平元年(194年)の可能性が高い。